平均四度の箱

夜十時、夷川璃子は検査用試薬の箱を航空便へ載せる直前だった。

温度記録計の画面には、平均四・一度。規定範囲内を示す緑の印が出ている。箱の中身は、翌朝の感染症検査に使う試薬だった。一度温度を外れれば、見た目が変わらなくても反応の精度は保証できない。緑になる条件は一日の平均だけで、短い上昇は警告対象に設定されていなかった。試薬は見た目では劣化を判断できない。新人は封印シールを貼り、集荷担当へ渡そうとした。

璃子は表示を平均値から時系列へ切り替え、折れ線の一か所だけが尖っているのを見つけた。午後八時十二分、九・三度。十一分間だけ上限を超えている。平均値へ均せば小さな山でも、患者の検体を判定する一回には、その十一分が丸ごと重なる。

「平均は大丈夫です」

新人はマニュアルの一行を指した。そこには〈平均温度を記録〉としか書かれていない。冷蔵庫の扉を開けた時間と重なっていた。

集荷締切まで六分。責任者は、短時間なら品質へ影響しないだろうと言った。翌便にすれば、検査施設の予定が一日遅れる。

璃子は箱を渡さず、品質確認の保留札を付けた。代替在庫の記録計を確認し、範囲内だった一箱へ送り状を移す。新人には、緑の印ではなく最大値と最小値を先に見るよう伝えた。

「画面が大丈夫と言っても、山が消えるわけじゃない」

代替箱は締切の一分前に出た。保留した箱の試薬は、品質部がメーカーへ安定性を確認することになった。結果が問題なしでも、確認前に載せなかった判断は記録に残る。璃子は手順書を〈平均〉から〈全時間帯の上下限〉へ直し、扉を開けた作業者が時刻を記録する欄も加えた。保留した箱は品質部の判断まで動かさない。

責任者は報告書を受け取りながら、来月から鉄道物流の会社へ移る璃子へ言った。

「スピードを重視する会社なら、こんなふうに毎回止められないぞ」

璃子が選んだ転職先は、速さだけを売りにしていない。空路と鉄道を組み合わせ、温度変化の少ない経路を設計する会社だ。面接で、止める判断を評価項目に入れてほしいと話した。最終契約書には、その文言が加えられていた。

璃子は保留報告を送信した。転職先から届いた最初の経路設計二件のうち、温度変化の比較が必要な方へ〈担当します〉と返す。

平均の中へ十一分を隠さない働き方を、次も選ぶ。