当直表の空白
鈴懸野奈緒佳の夫・霞城慧成は、毎週金曜を夜間当直だと言っていた。
不倫相手は同じ病院の看護師長、篠宮原絢璃だった。
「医療のことを知らない妻は、夜勤がどれほど大変か分からない」
慧成はそう言い、絢璃も「先生を支えられるのは現場の人間だけ」と笑った。
奈緒佳は二人を責めず、病院の倫理相談窓口へ資料を提出した。
最初は当直表。慧成の名がある金曜、実際の院内PHSは別の医師が持っていた。次は入退館記録。慧成と絢璃は深夜に病院を出て、近隣ホテルへ入り、朝の申し送り直前に戻っている。
それだけなら私生活の問題だった。
しかし二人は、その時間も当直手当と超過勤務を申請していた。絢璃は患者巡回をしたことにし、電子記録へ一括入力。監査ログでは、翌朝に過去時刻へ書き戻していたことが分かる。修正端末も操作時刻も、二人の社員番号と一致していた。
ホテル記録とメッセージ履歴は、奈緒佳の弁護士が正式に保全した。院内のアクセス記録と組み合わせると、二人が嘘の勤務を作った日付は二十三回一致した。
病院の懲戒委員会で、慧成は言った。
「患者に事故は起きていない」
院長は答えた。
「起きなかったことを、あなたの功績にはできません。当直をした医師と看護師が、黙って穴を埋めていたのです」
絢璃は懲戒解雇。慧成も勤務医契約を解除され、医療記録改ざんについて専門機関へ報告されることになった。二人には不正手当の返還請求が出る。
奈緒佳の代理人は、双方へ慰謝料請求を渡した。
慧成の父は地域診療所の院長だったが、息子を後継者から外し、診療所への出入りを禁じた。
「人の命を預かる時間を、不倫の隠れ蓑にする者へ白衣は渡せない」
慧成は奈緒佳へ、夫婦なら支えろと言った。
「支えたのは、あなたの代わりに当直した人たちよ」
人事担当が翌月の勤務表を更新する。
金曜夜の欄から慧成と絢璃の名が消え、実際に働いていた職員の名へ直された瞬間、二人が作った空白は、二人自身の職歴にだけ残った。