影を取り戻す朝目玉
城壁脇の朝食堂《東窓》は、日の出から一刻だけ開く。店主ヒサメが焼く《朝目玉》は、暁鶏の卵を片面だけ焼いたものだ。
その朝、まだ空が紫色のうちに、少女マティが駆け込んだ。足元に影がない。
影盗りに財布を奪われ、追いかけた代わりに自分の影を切り取られたという。城門の結界は影のない者を魔物とみなし、日の出と同時に閉じ込める。門の外では、病気の弟が薬を待っている。取り返す時間はない。
「影を貸してくれる人はいない。二人分の影を持つと、今度はその人が門を通れなくなるから」
ヒサメは慰めず、鉄板へ卵を一つ割った。白身の縁がちりちり鳴り、中央の黄身が昇る朝日のように丸くなる。塩を一振り。皿には何も添えない。
「これを、東の窓の前で食べて」
マティが《朝目玉》へ箸を入れると、黄身がとろりと流れた。窓から最初の光が差し、皿の縁に黒い輪を作る。彼女が白身を一口食べるたび、その輪は皿から卓へ、卓から膝へと伸びた。
最後に黄身を飲み込む。温かさが胸へ落ちた瞬間、黒い輪が床へ飛び降り、少女の踵へぴたりとつながった。
それは本物の影より少し丸く、頭の上に卵のような輪郭がある。それでもマティが手を上げれば、影も手を上げた。
「どれくらい?」
「次の日の出まで。門を往復するには足ります」
少女は立ち上がり、何度も足元を確かめた。結界が魔物と呼んだ空白に、朝食一皿が居場所を作っている。
「代金は」
「銅貨二枚」
財布は盗まれている。マティは唇を噛み、首に結んだ小さな鈴を外した。弟が生まれた日に買ったものだという。
ヒサメは受け取らず、店の木札を渡した。
「帰りに払って。影は貸せても、思い出までは取らない」
マティは木札を握り、朝日の中へ走った。城門の結界が一度青く光る。だが卵形の影を確かめると、重い扉は彼女の前で開いた。
日が沈むころ、《東窓》は閉まっていた。それでも扉の鈴が二人分の足音とともに鳴る。息を切らしたマティの隣には、薬包を抱えた小さな少年が立っていた。
「銅貨二枚と、弟の最初の朝食をください」