悪夢を吐けない夢喰貘
王宮で三十人が同じ悪夢を見た朝、紫の煙をまとった獣が寝殿に現れた。
象に似た鼻、熊のような体、黒白の毛。夢喰貘は人の悪夢を食べ、安眠を守る聖獣である。だが今は煙を吐きながら柱へ頭を打ちつけ、近衛兵を怯えさせていた。
「悪夢を撒いている! 鼻を封じろ!」
徹夜続きの記録官ソーンは、封印具を運ぶ兵の脇をすり抜けた。
貘は煙を吐いているのではない。吐こうとして吐けず、苦しんでいる。長い鼻の付け根が不自然に膨らみ、前脚で何度もそこを擦っていた。
「食べすぎたんじゃない。何か詰まってる」
ソーンは悪夢除けの香をすべて消した。強い香りが獣の呼吸をさらに苦しくしている。
夢喰貘の前へ座り、記録用の細い羽根筆を床へ置いた。
「鼻を見せてくれたら、今夜だけは仕事の夢を食べさせないと約束する」
貘の赤い目が細くなる。
やがて鼻先がソーンの掌へ落ちた。近くで見ると、鼻孔の奥に黒い棘が刺さっていた。自然の棘ではない。昨夜、王の夢へ仕掛けられた呪具を、貘が丸ごと吸い込んだのだろう。
ソーンは灯りを横へ置き、羽根筆の軸へ粘着樹脂を少し塗った。挟めば棘が折れる。先端へそっと触れさせ、息を合わせて引く。
貘が身をよじり、紫煙が天井まで膨らむ。
「あと少し。君が食べた悪夢よりは短い」
黒い棘が抜けた。
次の瞬間、夢喰貘は大きなくしゃみをし、煙の塊を吐き出した。塊の中には王弟が呪術師へ金を渡す夢の記憶が映り、寝殿中が静まり返る。
王弟が叫ぶ。
「幻だ! その獣ごと消せ!」
夢喰貘はソーンの背後へ隠れた。巨体なのでほとんど隠れていない。
ソーンは笑いを堪えながら、温めた山羊乳を皿へ注いだ。貘は一息で飲み、鼻先を彼の胸へ押しつける。黒白の額に夢雲の印が浮かび、同じ印がソーンの瞼の上で淡く光った。
その夜、ソーンは久しぶりに机ではなく寝台へ入った。
夢喰貘は当然のように足元へ上がり、やがて頭を彼の腹へ載せた。柔らかな頬毛は温めた毛布のようで、息をするたび重みが上下する。そのゆるやかな圧に守られ、ソーンは王宮の誰より先に、何の夢も見ず眠りに落ちた。