揺れたことを示す赤
鹿子木澪が運ぶのは、地方美術館へ貸し出される百年前の油彩だった。絵は木製のクレートに収まり、側面には温湿度ロガーとショックインジケーターが付いている。赤く変われば、規定以上の衝撃を受けた証拠になる。
搬入口の坂で、館員がフォークリフトを待たせていた。澪は荷台からクレートを下ろす前に、機械の爪が小刻みに震えているのを見た。運転手は「古いけど動く」と笑う。坂の継ぎ目には、鉄板が一枚浮いていた。
予定表では、フォークリフトで一気に収蔵庫前まで運ぶ。しかし爪の震えと鉄板の段差が重なれば、箱を落とさなくてもインジケーターは反応する。さらに絵の亀裂は、外から見えない。
澪は作業を止め、館員に手押し台車を二台用意してもらった。クレートを荷台の高さで受け、四人で水平を保つ。鉄板は踏まず、搬入口の脇に敷いた厚い板の上をゆっくり通した。時間は倍かかった。
収蔵庫前で、若い館員が言った。
「赤くなってないなら、最初の方法でも平気だったのでは」
澪はショックインジケーターを指した。
「赤くしてから、平気だったかを調べる仕事に変えたくないんです」
開梱の立ち会いで、温湿度ロガーの値は輸送前からほぼ一定だった。学芸員は画面を保存し、箱の四隅を撮影した。澪も受領書へ、搬入口で手順を変更した理由を書いた。予定どおりでないことを隠すより、なぜ変えたかを残すほうが作品を守る。
館員は開館準備の遅れを気にしたが、澪は作業開始と終了を分単位で記録した。遅れの理由が残れば予定は直せる。原因を残さず作品だけ傷めれば、修復にも貸し出しにも影響する。学芸員は手順変更を了承し、次回から坂の手前を受け渡し位置にすると決めた。
署名が終わると、館の裏口に空のクレートが三つ並んでいた。次は別の展覧会へ返す陶器だという。澪は浮いた鉄板へ黄色い印を付けてもらい、赤くならなかった箱を閉じた。運ぶものが変わっても、揺れる場所は同じだった。
赤は、事故の後につく色でなくてよかった。