改札までの勤務

千々岩梨々花は、沢渡真琴の退職を「制度を使わないまま逃げること」だと思っていた。

市役所の臨時窓口で、真琴は特定の来庁者につきまとわれていた。待ち伏せ、私物の質問、退勤時刻を尋ねる電話。上司は警備へ相談すると言ったが、「刺激しない応対」を真琴にも求めた。

梨々花は、記録をそろえれば正式に対応できると考えた。真琴は、正式になるまで自分の帰り道を差し出したくなかった。

退職日は金曜だった。十七時十五分、窓口を閉めると、例の男が庁舎の外に立っていた。傘も差さず、こちらを見ている。

真琴はロッカーから私服を出した。制服のまま帰れば目立つ。梨々花は上司へ報告したが、「警備員に駅の方向だけ見てもらおう」と曖昧な返事だった。

「裏口から出る」

真琴が言う。

「一人では駄目」

「梨々花は残業でしょ」

「記録が終わってない」

「だから残って」

真琴は、制度を信じる梨々花に付き添われたくなかった。守られたいのではなく、危険だと認めてほしかった。梨々花は、手順を飛ばす真琴に苛立っていた。今日だけ無事でも、次の職員に同じことが起きる。

梨々花は勤怠端末で退勤を打刻した。

「記録は明日やる。今日は勤務外で一緒に帰る」

それから警備室へ行き、男の位置を伝え、防犯カメラ映像の保存を依頼した。真琴は自分のスマートフォンで時刻と服装をメモする。二人は別々に証拠を残し、同じ裏口から出た。

梨々花が真琴の書類箱を持ち、真琴が梨々花の大きな傘を差した。歩幅は合わなかった。梨々花は何度も後ろを確認し、真琴は前だけ見た。

男は庁舎の角まで来たが、警備員が間に入った。二人は遠回りして、人通りの多い商店街を抜けた。

改札前で真琴は箱を受け取ろうとした。

「ここまででいい」

「ホームまで行く」

「勤務外なんでしょ」

「だから、私が決める」

真琴は笑わなかったが、箱から一冊だけ抜き、梨々花の鞄へ入れた。つきまといの記録簿だった。

二人は同じ改札を通り、反対方向のホームへ分かれる階段まで並んで歩いた。