最後のサビは観客が歌う

羽鳥未羽は、解散ライブの最後のサビを歌えなかった。

半年前の手術で声帯を傷つけ、囁きしか出ない。バンド〈合唱病棟〉は彼女の回復を待つと言ったが、会社は解散を決めた。最後の一曲だけは、観客の声で完成させる参加型企画になった。

入場時、全員のスマートフォンへ録音アプリが配られた。

「代わりに歌って」

未羽が掠れ声で告げると、会場に優しい歓声が広がった。イントロでは、彼女の昔のブレスがリズムになる。Aメロはキーボードと小さなハンドクラップだけ。歌詞字幕の横に、観客のマイク使用許可数が増えていく。

未羽は昨日、契約書の別紙を見つけた。今夜集めた声は、会社の新しい合唱生成モデルへ永久利用される。観客は彼女を支えるつもりで、自分の声を無償提供するのだ。さらに学習対象には、契約を拒んで消された過去の歌い手たちのデータも含まれていた。

「代わりに歌って」

サビ前、未羽はスマートフォンを掲げた。画面には歌詞ではなく、削除された二十三人の名前が表示されている。バンドメンバーも演奏を止めず、コードを一つだけ繰り返した。

観客は戸惑った。アプリは予定どおりサビを表示し、中央の音程バーを光らせる。会社の責任者が舞台袖で、早く歌わせろと指示する。

未羽は口を開いた。声にならない息で、最初の名前を形づくる。

最前列の一人が読み上げた。次の列が二人目を読む。やがて三千人が、旋律ではなく二十三人の名を順番に叫び始めた。録音アプリは歌唱データとして処理できず、エラーを吐く。それでも配信には、消された者たちの名前が明瞭に残った。

最後のサビは歌にならなかった。証言の波だった。

最後の一音と同時に、観客の端末へ声紋利用の拒否申請が一斉送信される。会社の学習モデルは必要数を満たせず停止した。

未羽は喉を押さえ、客席へもう一度だけ息を絞った。

「代わりに歌って」

自分が出せない高音を補ってほしいという依頼ではない。声を奪われた二十三人に代わり、彼らが存在したことを社会へ言い切ってほしいという合唱だった。