机の中の連載

室谷香凛が借りた小説は、毎日一章ずつしか読めなかった。

全七百頁の恋愛小説を持ってきたのは、後ろの席の男子だった。

「授業中だけ貸す」

「何で」

「家で読んだら一晩で終わるだろ」

「終わって何が悪いの」

「感想を毎日聞きたい」

本は机の中から机の中へ渡された。

一時間目の古典で十頁。数学で十二頁。先生が黒板を向くたび、香凛は膝の上で頁をめくった。

休み時間になると、本は持ち主へ戻る。

「主人公、絶対あの人を選ぶ」

「まだ早い」

「幼なじみは負ける顔してる」

「顔は文章に出てない」

三日目、数学教師に見つかった。

「室谷、その本を出しなさい」

没収された。

持ち主は自分の本だと言えず、香凛だけが放課後の職員室へ呼ばれた。

「授業中に読む本ほどおもしろいか」

「はい」

「正直だな」

教師は表紙を見て、眉を上げた。

「ここから先、主人公は――」

「言わないでください!」

香凛が大声を出すと、職員室中が振り返った。

教師は笑い、本を机の引き出しへ入れた。

「反省文を三枚。明日返す」

翌日、本は返ってこなかった。

教師が読み始めたらしい。

三日後、ようやく戻った本には、教師の付箋が挟まっていた。

『幼なじみを侮るな。二百八十一頁参照』

香凛と持ち主は放課後の教室で付箋を見つけ、声を上げて笑った。

そこから本は三人の間を回った。没収品だったはずなのに、いつしか教師の机の引き出しが正式な受け渡し場所になった。

香凛が一章読み、持ち主が翌日の頁へ紙片を挟み、教師が週末にまとめて追いつく。廊下ですれ違うたび、誰も名前を出さず「昨日のあれ」とだけ言った。

最終章を読む日は、三人で放課後の教室へ残った。

一冊しかないので、香凛が声に出して読んだ。

結末では、誰も予想した相手が選ばれなかった。

教師は「作者は分かっていない」と言い、男子は机へ突っ伏し、香凛だけが笑った。

借りた本の筋は年月とともに曖昧になった。

けれど授業中に隠れて始まった物語が、最後には先生まで机を囲ませた放課後だけは、頁を閉じても終わらなかった。