机の傷に名前をつける
塩谷郁人は、廃棄予定の机を一つずつ廊下へ運んでいた。
天板が割れ、脚ががたつく十台だけ、夏休みに新しいものへ替わる。萩尾乃愛は番号札を貼る係だった。
「これ、捨てるのもったいない」
乃愛が傷だらけの机を撫でた。
「机に情が移る人、初めて見た」
「塩谷の家、大工でしょ。直せない?」
「父さんなら。俺は釘を曲げる専門」
放課後の教室は、西日で木目が浮き上がっていた。表面には名前、数式、漫画の目、意味のない線。消された落書きの跡が何層も重なっている。
乃愛は一番深い傷を指した。
「これは剣で戦った跡」
「コンパス」
「夢がない」
「じゃあ、こっちは?」
「失恋した人が爪で」
「それは定規を滑らせた跡」
二人は傷に勝手な物語をつけた。焦げた点は理科室から逃げた隕石。丸い染みは、卒業生がこぼした最後の涙。机の裏の「十二時」は、秘密の待ち合わせ時刻。乃愛は一つ話すたび、忘れないように天板を写真へ収めた。
「全部嘘だね」と乃愛。
「机は否定しないからいい」
郁人は机を傾けた。脚の裏に、小さく「一九九八」と刻まれている。生まれる前からここにあったらしい。
「何人座ったんだろ」
「百人くらい?」
「百人分の肘と居眠り」
「それは重いな」
二人は運ぶのをやめ、しばらく並んで座った。教室に残っている新しい机より、捨てられる机の方が夕日を柔らかく反した。
乃愛が鉛筆を持つ。
「最後に名前書く?」
「落書き推奨する係じゃないだろ」
「どうせ捨てるし」
郁人は止めた。代わりに番号札の裏へ、今日の日付と二人の名前を書いた。札なら外して保管できる。
「机には残らないね」
「残す場所を間違えない方がいい」
乃愛は少し考え、番号札を胸ポケットへ入れた。
「窃盗」
「記念品」
二人で机を廊下へ運んだ。脚が床をこすり、長い音がした。教室を出る瞬間、夕日が無数の傷に引っかかって光った。
どの物語が本当だったかは知らない。ただ、最後に座った二人のことだけは、机ではなく、番号札が覚えている。