柴犬理髪店の耳まわり

 大路宗久は、同窓会の三日前になって髪を切ろうと思った。

 鏡を見るたび、生え際ばかり気になる。若い頃の写真が並ぶ会へ行けば、誰かに「変わったね」と言われるだろう。それが嫌で、娘に相談すると「鋏兵衛さんへ行けば」と店を予約された。

 商店街の「柴犬理髪店」は、柴犬の鋏兵衛と人間の理容師が営んでいる。

 鋏兵衛は蝶ネクタイをつけ、客の椅子の周りを一周してから言った。

「毛量は増やせません」

「最初から容赦ないですね」

「その代わり、残っている毛を働かせます」

 人間の理容師が咳払いで笑いを隠した。

 宗久は椅子へ座った。

「若く見せたい、というより、老けたと思われたくない」

「同じことです」

「犬は毛が多くていいな」

「換毛期をご存じない」

 鋏兵衛は床へ落ちた自分の毛を前足で指した。

「毎年、驚くほど抜けます。それでも犬です」

 温かなタオルが額へ置かれた。蒸気に薄い柑橘の香りがある。理容師の鋏が耳の周りで小さく鳴り、鋏兵衛は正面から宗久の顔を見ている。

「前髪を下ろして隠しますか」

「隠せるなら」

「風が吹くたび秘密がばれます」

「では、どうする」

「上げましょう。額は顔の明かり取りです」

 宗久は半信半疑で任せた。

 切り終わると、髪は短く整い、額は以前より見えている。毛が増えたわけではない。それでも頬の線がすっきりし、目元が明るく見えた。

「変わりましたね」

 人間の理容師が言う。

「その言葉が嫌で来たんですが」

「よく変わった、です」

 鋏兵衛が補った。

 同窓会では、友人が宗久を見て最初に言った。

「昔より顔が分かりやすくなったな」

 褒め言葉か迷ったが、皆が笑ったので宗久も笑った。写真にも、額を隠さず写った。

 翌週、礼を言いに店へ寄ると、鋏兵衛は自分の耳の後ろを人間の理容師に梳かしてもらっていた。

「犬も散髪するんですか」

「耳まわりは身だしなみです」

「そこ、誰にも見られないでしょう」

「自分が感じます」

 宗久は次回の予約を入れた。

 店内には蒸しタオル、石鹸、杉の整髪料の香りが混じっている。外へ出ると冬の風が額へ触れた。隠すものが減った分だけ少し冷たく、けれど思ったより気持ちよかった。