死亡時刻より後の花婿
津雲禎士は毎朝、結婚式までの残日数を健康な貸出身体で走る。白血病の本体は無菌室で生命維持を受けていた。主治医は式までもたないかもしれないと言ったが、意識さえ接続していれば、禎士は笑い、食べ、早英の手を握れた。
式当日、残日数はゼロになった。
貸出身体の契約は、利用者の本体が死亡確認された瞬間に失効する。死者が会社資産を占有し続けないための、ただ一つの規則だった。
「本体じゃなくて、俺はここにいる」
禎士は何度も確認した。
サポートは答えた。
《法的生命は本体に帰属します》
挙式が始まる。
早英が白いドレスで歩いてくる。禎士は練習通り笑った。貸出身体の心臓が、自分のものより強く鳴る。
誓いの言葉を読む直前、視界の隅に病院通知が開いた。
《津雲禎士さんの心停止を確認》
《蘇生処置中》
彼は通知を閉じた。
「健やかなときも――」
早英の声が震える。
《蘇生中止まで 00:30》
禎士は司式者を無視し、早英の両手を握った。
「今から何が起きても、俺は途中で逃げたんじゃない」
「やめて」
「聞いて。俺は――」
《本体死亡を確認しました》
《契約を終了します》
身体の喉が閉じた。
禎士はまだ意識がある。声だけが出ない。指先、腕、脚の順に制御が失われていく。
早英が彼を支える。
「ここにいるでしょ。まだ見てるでしょ」
禎士は瞬きをした。
一回は「はい」。
二回は「いいえ」。
二人だけの合図だった。
早英が尋ねる。
「私と結婚しますか」
禎士は一度、瞬いた。
端末はその動きを契約終了後の機械反射と判定した。
《婚姻意思を確認できません》
貸出身体が回収姿勢へ固定され、早英の腕から離れる。
司式者の端末へ中止通知が届く。
《新郎は誓約前に死亡しました》
「違う。今、返事した」
早英が訴えても、死亡時刻より後の意思は存在しない。
回収員が禎士の身体を担架へ載せる。彼の意識はまだ瞳の奥にあった。
出口で最後の制御が切れた。
目は開いたまま、早英を映している。
婚姻届には新郎の署名も、貸出身体の指紋も揃っていた。
足りなかったのは、提出時刻まで生きている本体だけだった。