母の声は優しすぎる

鶴来由布の母は、認知症の進行で介護施設へ入った。由布は毎晩、遠隔面会で話した。母の声は以前より穏やかで、「よくしてもらっているよ」「仕事を休まなくていい」と繰り返した。施設の家族安心AIが、興奮した声を聞き取りやすく整えていると説明された。

由布は安心し、面会の回数を減らした。昇進の話も受けた。母が優しく背中を押してくれるたび、罪悪感が薄くなった。

ある夜、通信障害で補正が外れた。画面の母は同じ口を動かしているのに、聞こえたのは「帰りたい」「寒い」「由布、来て」という掠れた叫びだった。背後では職員が、また始まった、と笑っていた。数秒後、柔らかな声へ戻り、「心配しないで」と言った。

由布が記録を求めると、施設は「不安を増幅する原音は治療上保存しない」と答えた。母の訴えが事実か、症状による混乱かも分からない。ただ、家族満足度を下げる言葉だけが優しさへ変えられていた。

旧施設の調査では、暴行や拘束は見つからなかった。母の寒さは室温ではなく病気の感覚で、帰りたいという訴えも毎日変わった。それでも由布は、事実でないかもしれない声を消してよい理由にはならないと思った。介護とは正しい要求だけを聞くことではなく、答えられない要求があると知りながら席を立たないことなのかもしれなかった。

由布は母を別の施設へ移した。自宅介護はできず、その選択にも罪悪感が残った。新しい施設では音声補正を切り、面会のたび母から「嫌い」「帰れ」と怒鳴られた。翌日は抱きつかれ、その次の日には名前を忘れられた。

仕事の昇進は断ったが、人生のすべてを介護へ捧げることもしなかった。週三回訪ね、来られない日は来られないと伝えた。母が泣けば、泣き止ませる言葉ではなく、「今日は帰る。でも金曜に来る」と答えた。

ある金曜、母は由布の顔を見て、「声が怖い」と言った。由布は自分が苛立っていることに気づき、深呼吸した。端末で柔らかくせず、「ごめん、疲れてる」と言った。

母は意味を理解しなかったかもしれない。それでも由布は、優しすぎない自分の声で、もう一度名前を呼んだ。