治った私の泣き方

薬袋和奏は、治療室の窓に、病気のままの自分を見た。

二十代で発症した神経変性症を、和奏は感情回路ごと再設計する治療で克服した。歩けるようになり、医師になった代わりに、悲しみも喜びも薄くなった。

並行世界の和奏は治療を断り、車椅子で四十歳を迎えていた。余命は半年。画面の向こうで、姉と甥たちが騒いでいる。

「ずいぶん幸せそうね」と和奏は言った。

「ずいぶん健康そうね」と向こうが返した。

二人は互いの欠けたものを見せ合った。こちらは百人以上の患者を救った記録。向こうは家族旅行、喧嘩、失恋、誕生日の映像。

「死ぬのが怖くない?」

「怖いよ。あなたは、生きていて嬉しい?」

和奏は答えられなかった。嬉しいという言葉は理解できる。脳画像でも反応は出る。ただ胸の内側に波が立たない。

向こうの和奏は姉と絶縁しかけていた。病気の世話を巡り、「あなたの人生まで壊したくない」と突き放したまま、謝れずにいた。

「私の代わりに伝えて」と頼まれた。

「別世界の姉に、あなたの言葉は届かない」

「同じ言葉で傷つけたでしょう」

こちらの和奏も、治療後に姉から「別人みたい」と言われ、冷静に縁を切っていた。

通信終了後、和奏は十年ぶりに姉の家を訪ねた。甥は高校生になっていた。姉は扉を半分しか開けなかった。

「謝りに来たの?」

「たぶん」

「泣きもしないで?」

和奏は自分の胸に手を当てた。何も込み上げない。それでも、ここまで来るために三度帰ろうとした事実はあった。

「泣けない。でも、帰りたくない」

姉は長く黙り、扉を開けた。

半年後、並行回線は消えた。向こうの和奏が死んだのか、装置の期限かは分からない。

和奏は悲しまなかった。ただ毎年その日に休診し、姉の家で夕食を作る。感情が失われても、感情が選んだはずの行動は残せる。

それが治った自分に可能な、唯一の泣き方だった。

医師として、和奏は同じ治療を迷う患者に「健康になれます」とだけ言わなくなった。失う感情、残る習慣、家族とのずれまで説明した。患者が治療を断っても勧めても、向こうの自分を正解の例にはしなかった。