消した丸
瀬名垣遼は、教師用の机を整理していて、自分の中学時代の答案を見つけた。
数学、九十八点。右上に大きな赤い丸がある。
誇れる点数ではなかった。隣の席の友人の答案を見て写したものだ。
試験後、二人の答えが同じ間違い方をしていると担任が気づいた。普段成績の悪かった友人が、遼から写したと決めつけられた。
「違います」と友人は言った。
遼は黙っていた。
友人は推薦を失い、卒業後、町を離れた。別れの日、遼は駅まで行ったが、ホームの柱の陰から見送った。声をかければ、自分が黙っていた理由まで話さなければならない。それが怖くて、電車の赤い尾灯が消えるまで隠れていた。
四十二歳になった遼は、同じ学校で数学を教えている。生徒には「間違いは消せるうちに消せ」と言う。そのたび、赤い丸が胸に残った。
消しゴムで丸をこすると、教室の窓が春の光に変わった。
遼は十五歳の席に座っている。試験終了の鐘が鳴るまで、あの日に戻れるらしい。
答案はまだ机の上だ。担任が二枚を並べ、友人を立たせている。
「正直に言いなさい」
遼は手を挙げた。
声が震えた。大人になっても、怖さは消えていなかった。
「僕が写しました」
担任が眉をひそめる。
「瀬名垣が?」
その疑い方に、遼は三十年遅れて腹を立てた。
「僕のほうが点が高いから、信じられませんか」
教室が静かになる。
友人が遼を見た。救われた顔ではなく、怒った顔だった。
「今さら言うなよ」
「ごめん」
「俺、ずっと違うって言ってた」
「うん」
遼は自分の答案を破った。
「零点にしてください」
担任が止めるより先に、鐘が鳴った。
現在へ戻ると、机の上の答案は九十八点ではなく、赤字で零点になっていた。
裏面に、見覚えのない走り書きがある。
《次は自分で解け。あと、教師になるなら生徒を点数で決めるな》
友人の字だった。
その日の放課後、遼は追試の答案を返した。一点足りず不合格になった生徒が、俯いている。
いつもの遼なら規則を説明した。
代わりに椅子を引いた。
「どこで分からなくなった?」
生徒は顔を上げた。
遼は零点の答案を机の端へ置き、一問目から一緒に解き始めた。