焼き茄子を剥く

室伏旺太郎は、明日の新幹線の切符をカウンターへ置いた。

「帰るのか」

「十年いたので、もう十分です」

 俳優を目指して上京したのは十九歳だった。台詞のある役は数えるほどで、今月は家賃を払うための配送バイトのほうが長かった。地元の叔父から工務店を手伝わないかと誘われ、旺太郎は受けた。

 荷物も送り、部屋の解約も済ませた。ところが夕方、先週受けた映画のオーディションから、最終審査の連絡が来た。時刻は明日の午前十時。新幹線は九時十二分発だ。

 受けても役をもらえるとは思えない。切符を変更すれば、また夢にしがみついたと家族に思われる。旺太郎は欠席の返信を書きかけた。

 最後の来店に、焼き茄子を頼んだ。客は旺太郎一人だった。

 網の上で茄子の皮がぱちりと裂け、黒く焦げる匂いが立つ。店主が熱い皮を指先で素早く剥くと、白い湯気をまとった淡い緑の実が現れた。生姜醤油を落とすと、香りが一段鋭くなった。

「熱くないんですか」

「熱いうちのほうが剥ける」

 店主は赤くなった指を水へ浸した。

 旺太郎は欠席の文を消し、審査参加の返信を送った。明日の切符を昼の便へ変更する。役をもらえなくても、その足で地元へ帰る。もらえたときのことは、そのとき叔父へ頭を下げる。

 俳優を続ける決意ではない。十年を終わらせる前に、最後の呼び声へ自分で返事をするだけだ。

最終審査の役は、主人公の同僚で台詞が四つある。十年前なら眠れないほど喜んだはずなのに、今は落ちたあとの家族の顔を先に考えてしまう。旺太郎は叔父へ、帰りが数時間遅れるとだけ連絡する。合格したときの交渉も、不合格だったときの慰めも、まだ頼まない。明日の十時に名前を呼ばれたら、十年分を背負わず、その四つの台詞だけを言う。古い宣材写真は捨てず、箱の底へ入れて地元へ持ち帰る。変更した切符の手数料も、区切りの代金だと思う。

 生姜醤油を吸った茄子は柔らかく、表面はもうぬるかった。それでも中心には焼けた熱が残り、焦げの匂いが鼻の奥からなかなか消えなかった。