猫棚のいちばん下
晴臣と千景が共有しているものは、親ではなく猫だった。
晴臣の父と千景の母が再婚したとき、晴臣は二十二、千景は十七。二人はほとんど会話をしなかったが、庭に迷い込んだ黒猫だけは交代で世話をした。猫は「墨」と名づけられ、親たちが海外赴任したあとも、実家に残った千景と暮らしている。
晴臣が訪ねると、墨は冷蔵庫の上から降りられなくなっていた。十歳になり、後ろ脚が弱っている。
「猫棚を作る」と千景が言った。
「買えば」
「幅が合わない」
「俺、今日しか休みない」
「だから今日呼んだ」
ホームセンターで板と金具を買い、壁に段違いの棚を取り付ける。千景が寸法を測り、晴臣が電動ドリルを握った。最初の穴は柱を外し、白い粉が床へ落ちた。
「賃貸だったら終わってたな」
「持ち家だから、おまえが直せばいい」
「俺の家じゃない」
「登記、半分おまえ」
「そういう意味じゃない」
墨は段ボールの中から作業を眺めていた。二人が声を荒らげると、低く鳴いた。
棚は五段。最上段は窓辺、いちばん下は床から二十センチにした。だが試しに墨を乗せると、二段目へ上がろうとして足を滑らせた。晴臣が受け止める。
「間隔、広い」
「図面ではいける」
「猫は図面読まない」
余った板を切り、間に小さな踏み台を追加した。今度は墨がゆっくり上がった。窓辺まで着くと、尻尾を一度振り、外を見た。
作業後、千景がカップ麺を二つ作った。晴臣の方には卵が入っている。
「覚えてたんだ」
「冷蔵庫に一個しかなかったから」
「じゃあ自分で食えよ」
「猫棚代、払ってないし」
晴臣は汁まで飲んだ。帰り際、墨が棚のいちばん下で丸くなった。床に近すぎて棚としては格好が悪い。けれど老いた猫にはそこがちょうどいい。
一週間後、千景から写真が届いた。墨は最上段で寝ている。画面の端には、いちばん下の棚に畳まれた毛布と、晴臣が置き忘れた作業用手袋が写っていた。
〈手袋、捨てる?〉
晴臣は〈置いといて〉と返した。次の写真では、手袋の横に小さな缶が置かれていた。中身は実家の予備鍵だと、昔から知っている。
墨が降りるとき邪魔にならないよう、缶は棚の奥に寄せられていた。