玄関の傘立て

郁実はビニール傘を増やす人が苦手だ。妹の紬希は、傘はその日に濡れないための道具で、長く持つ必要はないと言う。玄関の傘立てには、郁実の折り畳み傘一本と、紬希の透明な傘が三本刺さっていた。

梅雨の夜、紬希が知らない女の子を連れて帰ってきた。駅前で泣いていた大学生だという。家に帰る電車がなくなり、スマホの充電も切れたらしい。

「連れてくる前に連絡して」

郁実は小声で言った。

「連絡したら、だめって言ったでしょ」

「だめじゃなくて、準備がいるって言う」

「その間に置いてくの?」

準備を大事にする郁実と、目の前の人を優先する紬希は、いつもそこでぶつかる。女の子は玄関で靴を脱いだまま、傘から落ちる水を見ていた。

郁実はため息を飲み込んで、バスタオルを出した。紬希はスマホの充電器を貸した。女の子は名前を言ったが、二人は無理に事情を聞かなかった。

翌朝、女の子の母親から迎えに行くと連絡が来た。駅まで送ることになり、玄関で傘を選ぶ段になって、外はまだ雨だった。郁実は自分の折り畳み傘を差し出した。紬希は透明な傘を一本取る。

「返さなくていいです」

紬希が言うと、郁実は眉を上げた。

「返せるときに返して。返せないときは、誰かに貸して」

女の子は両手で傘を受け取った。

駅への道で、郁実は左を歩き、紬希は右を歩いた。女の子を挟む形になった。会話は少なかったが、水たまりを避ける歩幅だけは自然に揃った。

帰宅後、玄関の傘立てには透明な傘が二本残っていた。郁実は「一本減った」と言った。紬希は「一本使われた」と言った。言い方は違う。けれど二人は同じ傘立てを拭き、空いた隙間をそのまま残した。

その日の夕方、女の子から『着きました』とだけ連絡が来た。郁実は返信文を長く考え、紬希はスタンプで済ませようとした。結局、二人で『傘、無事でよかったです』と打った。女の子ではなく、傘を主語にするくらいの距離が、今の二人にはちょうどよかった。

郁実は傘立ての底にたまった水を捨てた。紬希は新しい透明傘を買わなかった。増やさないことも、貸す準備のひとつになった。