玄関の銘板
旧校舎を改装した美術館で、同窓会が開かれた。
日比野雄大は玄関ホールで伊佐山律央を見つけると、天井を指さした。
「昔みたいに建物の落書きしてる? この美術館くらい立派なの、描けるようになった?」
律央は生成りのジャケットを着て、長かった前髪を上げていた。整った顔立ちと落ち着いた身のこなしに、受付の同級生たちは何度も名前を見直した。
中学時代、律央は取り壊される校舎を毎日スケッチしていた。日比野はその一冊を雨の校庭へ投げた。それ以上を語らなくても、二人の立ち位置は分かる。
「描くより、建てるほうが増えたよ」
「設計士? 住宅の間取りとか?」
日比野は不動産営業の名刺を渡し、今度、安い案件なら回してやると言った。
開宴前、館長がマイクを持った。
「本館は、卒業生の建築家が無償で基本設計を引き受けてくださったことで保存できました」
スポットライトが律央へ向く。
彼は世界各地の美術館や劇場を手がけ、前年には国際建築賞を受賞していた。設計事務所の年商は百億円を超え、律央自身も世界の富豪や美術財団から指名されていた。この旧校舎も耐震補強と採光の工夫で、取り壊しから地域の名所へ生まれ変わった。
日比野は壁を見回した。
「でも、元の建物が良かっただけだろ」
館長は微笑み、玄関の布を引いた。
新しい銘板が現れる。〈設計・伊佐山律央〉の下に、国際賞の受賞歴と、次期別館の寄贈者として彼の事務所名が刻まれていた。
そこへ海外の美術財団の代表が到着し、律央へ次の美術館の設計契約書を手渡す。契約額を聞いた日比野の名刺が、指の間で折れた。
律央は玄関脇に展示された古いスケッチ帳を開いた。雨でにじんだ一冊を、当時の美術教師が拾って乾かしてくれていたのだ。その最初のページに、今の美術館とほぼ同じ光の線があった。
館長が銘板の照明を点ける。
律央の名前が建物の正面に灯る。日比野が雨へ投げた落書きは、町の玄関そのものとなり、世界から人を呼ぶ設計図へ変わっていた。