町工場の一株
天城谷小夜里は、油の染みた作業服を見るのが嫌だと言った。
朝比奈森雅継は航空部品の町工場で旋盤を回していた。婚約中も給料は平均的で、休日には工場の床を磨く。
「叶羽さんは県議の息子で、大企業との宇宙事業を動かしている。あなたとは世界が違うの」
宇賀神森叶羽は胸に議員秘書の徽章を付けた。
「腕のいい職人なら、僕の計画で雇ってあげよう」
雅継は婚約解消書へ署名し、一枚の株券の写しを鞄へ戻した。
衛星打ち上げの日、三人は宇宙センターへいた。叶羽は自分が誘致した計画だと報道陣へ語り、小夜里は成功後の祝賀会を予約していた。
しかし打ち上げ責任者が紹介した部品企業の代表は雅継だった。
朝比奈森家は小さな工場から始まり、今では世界の衛星用軸受を供給する非上場企業を所有していた。雅継は株式の六十二パーセントを持つ社長であり、振動を半減させる新型部品の発明者でもある。現場に立つため役員報酬を抑え、従業員と同じ作業服を着ていた。利益は設備更新と職人の給与へ先に回し、自分の車も創業時から使う軽自動車のままだった。工場の若手全員にも、自社株を無償で分けていた。
叶羽はマイクを奪おうとした。
「この事業は父の政治力で――」
県の担当者が否定した。
叶羽は議員秘書ではなく、父の後援会で雑務をするだけだった。企業から便宜を得られると吹聴し、小夜里の家へまで投資を勧めていたことが発覚。父は会見で息子との政治活動上の関係を断ち、事務所への出入りを禁じた。
さらに叶羽が渡した投資資料は、雅継の会社名を無断使用していた。
小夜里は雅継へ言う。
「社長なら、作業服を脱げばいいじゃない」
「この一ミクロンを判断するのが、僕の仕事だから」
カウントがゼロになり、衛星は正常に上昇した。管制画面へ〈軌道投入成功〉が灯る。
雅継の一株が莫大な価値を持つと報じられ、叶羽の偽の投資計画が捜査資料へ移された瞬間、小夜里が見下した町工場の床から、世界で最も高い軌道へ未来が打ち上がった。