畳一枚の乾き方

古い長屋を使った共同住宅へ濁流が入ったのは、川が警戒水位を越えた翌朝だった。床上十五センチ。住人たちは避難所へ移ったが、東谷理央と鎌田喬介だけが、残せる物を運び出しに戻った。

大家は電話で「修理費は出せない。月末で閉める」と言った。あと十日しかない。それでも二人は畳を起こした。

「捨てるなら、乾かす意味ないだろ」

「濡れたままじゃ運べない」

喬介が答え、理央が畳の端を持った。水を吸った一枚は、人間一人より重い。壁へ立て、雑巾で何度も押す。窓を開けると泥の匂いが薄まり、代わりに夏の熱気が入った。

二人は、誰が勝手口を閉め忘れたかで昨夜から言い争っていた。鍵当番は理央、最後に外へ出たのは喬介。どちらも自分ではないと言う。水害の原因ではないと分かっていても、責める先が必要だった。

六枚のうち四枚は表面が剥がれ、一本は折れた。最後の一枚だけ、日当たりのよい縁側で乾かした。表裏を一時間ごとに返し、扇風機を当てる。

夕方、避難所からほかの住人が戻り、使える鍋や服を運び出した。今夜も体育館へ行くよう言われた。理央は頷き、荷物を袋へ詰めた。

喬介は乾いた畳を、泥を拭いた居間の中央へ敷いた。端は反り、踏むと少し鳴った。

「一枚なら、二人寝られる」

「狭い」

「体育館より静か」

月末以降の行き先は決まっていない。勝手口の件も、まだ互いを疑っている。

二人は畳の上で、救援物資の即席麺を分けた。汁をこぼさないよう器を膝で囲み、壁の水位跡を見上げる。十日後にはここを出なければならないが、避難所の掲示板には空室情報が一件もなかった。喬介は明日の乾燥当番を紙へ書き、理央は勝手口の鍵を首から下げた。疑いが消えなくても、今夜の戸締まりは決められた。

乾いた畳は、泥の匂いの中で青い草の匂いを少しだけ戻した。理央は端を何度も踏み、浮きがないことを確かめてから座った。

理央は袋から大容量のモバイルバッテリーを出し、二人分の携帯電話をつないだ。泥だらけの靴は、乾いた畳へ触れないよう外へ揃えた。