白い糸だけ残して
小嶋万葉は、乙部尋人の第二ボタンではなく、その裏の糸を見ていた。
「まだ白いままだ」
卒業式後の階段で言われ、尋人は胸元をのぞく。制服のボタンは黒い糸で縫われているのに、第二だけ白かった。
一年の冬、雪合戦で取れたとき、万葉が家庭科室で縫い直した。窓の外では雪がまだ降り、濡れた制服をストーブのそばに掛けて、二人で遅い昼休みを過ごした。黒糸を見つけられず、「内側なんて誰も見ない」と白で済ませたのだ。尋人は三年間、そのままにしていた。
「縫い直すの、忘れてた」
「嘘。何度も黒糸貸そうかって聞いた」
万葉は笑った。尋人は答えず、ポケットから小さな糸切り鋏を出した。
「用意してたんだ」
「卒業式だから」
踊り場の窓から、校門前で写真を撮る同級生が見えた。歓声が上がるたび、残り時間が減っていく。
尋人は第二ボタンの糸を切ろうとしたが、万葉が手を止めた。
「ボタンは、いらない」
「じゃあ何」
「白い糸」
冗談だと思った。しかし万葉は真顔で、ボタンの裏から伸びる糸の端を指でつまんだ。
「ボタンだけなら、今日の尋人しか入ってない。これは一年の冬から今日までついてた」
尋人は鋏を持ち直し、糸をできるだけ長く残して切った。黒いボタンが掌へ落ち、白い糸は万葉の指に絡んだ。
「短い」
「制服一着ぶんの長さしかないから」
「じゃあ、足りない分はこれから」
万葉は糸を自分の小指に結び、余った端を尋人の小指へ結んだ。二人の間は十センチほどしかない。
「このまま校門まで?」
「切れた方が負け」
階段を降りるたび、距離が近すぎて肩がぶつかった。友人たちに見つかると、何をしているのかと笑われた。
校門前の写真でも、二人は小指をつないだままだった。白い糸は細すぎて写らない。ただ、尋人と万葉だけが不自然に近く立っている。
シャッターのあと、糸はようやく切れた。
万葉は半分を制服のポケットへしまい、尋人へ言った。
「続き、買いに行こう」
駅前の手芸店で、二人は白糸と黒糸を一巻ずつ買った。帰りの電車では、万葉が白を、尋人が黒を持ち、写真に撮って送り合った。
〈次は、どっちの色にする?〉
万葉のメッセージに、尋人は〈二本一緒に〉と返した。
卒業の日に切れた糸は、別れる印ではなく、二人が初めて一緒に選ぶものになった。