白狼は鐘がこわい
大鐘楼を白狼が襲った、と町中の鐘が鳴らされた。
白狼は鐘楼の扉を前足で叩き、低く吠えている。守備隊は「鐘の聖音を憎む魔獣だ」と包囲した。
鐘鋳師の娘ティナには、そうは見えなかった。幼いころに工房の事故で右耳を傷めた彼女は、大きな音が痛みに変わる瞬間を知っている。町の者からは、鐘鋳師なのに半端な耳だと笑われてきた。
鐘が鳴るたび、白狼は扉を叩くのをやめ、地面へ頭をこすりつける。左耳だけが不自然に伏せられていた。扉を壊したいのではなく、鐘綱の根元へ頭を寄せ、どうにか音を止めようとしている。
「鐘を止めて!」
「何を言う。警報を絶やすな!」
ティナは返事代わりに鐘楼へ駆け込み、揺れる綱へ飛びついた。体重をかけて振り子を止める。最後の余韻が消えると、白狼の唸りも弱くなった。
彼女は外へ出て、耳を指さした。
「見せて。痛いんでしょう」
白狼が牙を覗かせる。守備兵が槍を構えたが、ティナは道具箱から細い火箸と鏡を出し、自分の耳を先に見せた。
「同じ形。怖くないよ」
白狼は長く息を吐き、地へ伏せた。
左耳の奥に、薄い青銅片が刺さっていた。鐘の修理中に飛んだ欠片らしい。音が響くたび震え、内側を傷つけていた。
ティナは白狼の耳へ柔らかな布を当て、青銅片を火箸でそっとつまむ。一度で抜く。小さな欠片が石畳へ落ちると、白狼は首を振り、次いで恐る恐る鐘楼を見上げた。ティナが両手で耳を包むと、白狼も彼女の動きをまねるように前足で耳元を隠した。
「もう鳴らさない。治るまではね」
町長が顔を真っ赤にした。
「鐘は町の権威だ! 獣一匹のために止められるか!」
白狼が立つ。町長は腰を抜かした。だが白狼は彼を素通りし、ティナの肩へ鼻先を寄せた。耳の形をした銀印が、彼女の掌に現れる。鐘楼のひび割れた大鐘には《音守りティナ》の名がひとりでに刻まれ、町長の命令より先に職人たちが頭を下げた。
そして白狼は鐘楼の下へ伏せ、ティナの膝へ頭を押し込んだ。片耳を守るように撫でると、白い毛が指の間を静かに満たす。鐘のない町で聞こえるのは、膝を沈ませる重さと、その奥でゆっくり響く温かな鼓動だけだった。