皮を脱ぐ祈り

礼拝堂の外で、灰の霧が人の声を真似ていた。

「開けて」「母さんだよ」「寒い」

扉の向こうには誰も生きていない。霧に触れた村人は皮膚を裏返され、その声だけを奪われた。礼拝堂にはイルグナと、逃げ込んだ子ども九人がいる。古い扉の隙間から、細い灰が入り始めていた。

イルグナは祭壇の裏に描かれた悪魔の印へ血を塗った。

薄皮侯との契約は、守りの紋を一つ完成させるごとに、契約者の皮膚を一層、全身から剥ぐというものだった。紋は強い。だが人の皮膚は、何層も失って生きられるほど厚くない。

最初の紋を東壁へ描く。

灰の霧が壁から離れた。同時にイルグナの表皮が熱を持ち、透明な膜となって足元へ落ちる。身体は赤く濡れ、空気だけで焼けるように痛んだ。

子どもたちには見せないよう、外套を深くかぶる。

二つ目を西壁へ。薄い真皮が剥がれ、血が一斉に滲んだ。霧の声が遠ざかる。

三つ目を窓へ描くころ、指先の皮がなくなり、骨に近い白が見えた。炭を握れない。イルグナは自分の血で線を引く。

「もう十分」と年長のオエラが泣いた。「私たちを置いて逃げて」

逃げ道はない。天井から灰が降り始めている。

四つ目、屋根の紋。

新しい一層が剥がれ、筋肉の繊維が露出した。外套が肉へ張りつき、脱ぐこともできない。

残るのは扉。そこを封じなければ、夜明け前に蝶番が腐る。

薄皮侯が祭壇から囁く。

――次を払えば、顔を顔として保つ膜がなくなる。名を呼ばれても、誰か分からなくなるぞ。

扉が大きく軋んだ。外から、死んだ母親たちの声が子どもの名を呼ぶ。幼い子が一人、鍵へ手を伸ばした。

イルグナはその手を押さえ、最後の紋を扉へ描いた。

全身から、最後の人らしい皮膚が剥がれた。

扉は白く光り、霧の声が途切れる。朝日が窓へ差すと、灰は地面へ落ち、ただの泥になった。

子どもたちは助かった。

オエラが外套をめくり、息を呑む。そこにいるものは生きていた。心臓も肺も動いている。だが血管と筋肉が薄い膜越しに見え、鼻も唇も輪郭を失っていた。瞼のない眼球だけが、濡れて光る。

「イルグナさん?」

呼ばれたものは頷こうとした。顔の皮がないため、表情も頭の動きも人の形にならない。

子どもたちは礼拝堂を出た。最後に運び出された彼女を、村人は誰とも判別できず、《皮のない聖骸》と呼んだ。

その呼び名を聞いたとき、イルグナはまだ自分の名を覚えていた。けれどそれを発音する唇は、最後の祈りとともに床へ脱ぎ捨てていた。