砂糖壺を下げてください

 春の園遊会。侍女が銀の砂糖壺を持ち上げると、母オルガが微笑んだ。

「いつもの二杯でお願い」

 セリナは白い角砂糖から目を離さなかった。

 前の人生でも、母は同じ注文をした。セリナは自ら二粒を紅茶へ落とし、くるくると匙を回した。乾杯から七分後、王妃である母は喉を押さえて倒れた。毒は熱で消え、犯人も証拠も見つからなかった。

 国を継いだセリナは暗殺者を追い詰め、毒の正体が砂糖の内側に封じた無色の呪液だと知った。犯人を処刑しても、母の空席は埋まらない。真相へたどり着いた夜、彼女は王冠を代価に古代鏡へ願い、記憶を保ったまま園遊会へ戻った。

「いつもの二杯でお願い」

「砂糖壺を下げてください。今日は蜂蜜にします」

 以前とは違う返答に、侍女の手がわずかに震えた。

 セリナはその手首をつかむ。壺が傾き、角砂糖が芝生へ転がった。白い表面が朝露に触れた瞬間、中心から紫の煙が上がる。花壇の花が一輪、触れただけで灰になった。

 護衛たちが侍女を囲んだ。招待客がざわめき、楽団の演奏が止まる。侍女は逃げようとしたが、セリナは未来で覚えた捕縛術を使うまでもなく、母の護衛長が道を塞いだ。セリナが未来で知った共犯者の名を耳打ちすると、庭の出口でもう一人が捕らえられた。毒だけでなく、その根まで一度に断つ。

「どうして分かったの?」

 オルガの問いに、セリナは蜂蜜を一匙だけ入れた。

「お母さまの好みを、忘れたことがないからです」

 本当は、忘れられなかったのは好みではなく最期の苦しげな顔だ。だが今は、母の前でそれを過去形にする必要はなかった。

 オルガは蜂蜜の瓶を娘へ渡し、「あなたが入れて」と笑った。今度の一匙には、死へ続く仕掛けが何もない。

 乾杯の七分後。

 前の人生では王宮中へ弔鐘が鳴った。今度、宮廷魔導具に表示されたのは別の記録だった。

《園遊会毒殺――未遂》

《被害者――なし》

《王妃オルガ――生存》

 母は無事な紅茶を一口飲み、娘の手へ自分の手を重ねる。

「次からは、私にもあなたを守らせて」

 死に別れた母が初めて口にした“次”という言葉に、セリナはようやく春の香りを感じた。