祝日の顔
高城伊澄は毎朝、玄関の鏡で幸福スコアを確認する。天気と電車の遅延情報の横に出る数字を見てから家を出るのが習慣だった。その日、伊澄は八十二だった。
恋人の茉白は六十八だった。
八月六日は国民幸福日だった。街頭の全端末が一斉に市民を測り、七十未満の者には一日だけ回復センターで指導が行われる。悲しい顔が祝祭を損なわないための、年に一度の決まりだ。
茉白の母が亡くなったのは前日だった。
「家にいれば?」
「欠測はゼロ扱い」
二人は黒い服を避け、明るいシャツで駅へ向かった。茉白は母が最後に選んだ黄色いシャツを着た。襟に値札の糸が残っている。商店街には笑顔の旗が並び、スピーカーから軽い音楽が流れている。茉白は母の遺品が入った紙袋を抱えていた。
駅前の測定線を越える。
《高城伊澄、幸福八十九。模範》
《茉白、幸福六十七。要回復》
白い制服の係員が現れた。
「一日だけです。正しい喜びを取り戻していただきます」
伊澄は茉白の手をつかんだ。
「昨日、母親が死んだんです」
「喪失理由は判定に影響しません。幸福日は全員に等しく適用されます」
「俺も行く」
係員の端末が伊澄を再測定した。九十一。
《対象者への接触により幸福が上昇。高城伊澄を良好な感情源と認定》
《回復効率維持のため、対象者との同行を禁止します》
茉白が手を離した。
「笑ってて。あなたまで連れていかれたら嫌だから」
伊澄は顔をゆがめた。数値は八十四にしか下がらない。彼女を失いたくないという気持ちまで、システムは幸福の強さとして数えた。
茉白は車へ乗せられた。紙袋だけが地面に残った。中から母親の眼鏡ケースが転がり出る。
周囲の大型画面に、伊澄の顔が映った。
《本日の地域最高幸福者です》
通行人が拍手した。拍手を拒めば幸福を損なう行為として、彼ら自身の数値が下がる。だから音は長く続いた。伊澄は眼鏡ケースを拾い、走り去る車を見た。泣こうとしたが、茉白との記憶が浮かぶたび幸福は上がった。
九十三。
画面の中の彼だけが、祝日の笑顔として保存された。