穴を掘る共和国
勅使河原柾冬が《人間回復共和国》へ入ったのは、何かに疲れたかったからだ。
働かなくてよい社会では、筋肉痛も達成感も商品として配信される。共和国の会員は郊外の荒地に集まり、機械を使わず穴を掘った。目的はない。日没に埋め、翌朝また掘る。
共和国では毎朝、手の柔らかさを測られた。傷の少ない者は《依存者》と呼ばれ、食事の席を後ろへ回された。柾冬は認められたくて、治りかけた豆をわざと潰した。帰宅すると妹が手当てをしようとしたが、「これは勲章だ」と振り払った。妹の呆れた顔より、仲間の称賛のほうが温かく感じられた。
最初の豆が潰れた日、柾冬は生きていると思った。仲間は傷を見せ合い、掘った深さで階級が上がった。指導者は演説した。
「苦痛だけが、AIに代行できない尊厳です」
会費は高く、休めば人間性不足と記録された。それでも柾冬は続けた。必要とされる感覚に飢えていたからだ。
深さの順位が上がるほど、柾冬は穴の外の人間を軽蔑するようになった。働かない市民を退化種と呼び、痛みを避ける妹を弱いと責めた。目的のない穴が、彼に優越感だけは与えていた。
夏、隣で掘っていた少年が倒れた。柾冬が水を飲ませようとすると、指導者が止めた。
「本人が限界を越える機会を奪うな」
「死ぬかもしれない」
「それも自己決定だ」
少年は返事もできなかった。
柾冬は初めて、穴ではなく仲間を背負った。救護所まで運ぶ間、周囲から「裏切り者」と叫ばれた。翌日、会員資格と人間性証明を剥奪された。
彼は荒地へ戻り、自分が掘った穴を埋めた。指導者は笑った。
「無意味な労働から逃げて、無意味な労働をするのか」
「違う。誰かが落ちるから埋める」
その言葉で、柾冬はようやく気づいた。苦労は、それ自体では人を立派にしない。目的も同意もない痛みは、古い時代の搾取と同じだ。
最初に訪れたのは妹だった。彼女は柾冬の手へ薬を塗りながら、「何もしない日も来ていい?」と聞いた。柾冬はうなずいた。何もしない人を追い出さないことが、その場所で一番守るべき仕事になった。
彼は共和国を去り、退会者の傷を手当てする場所を作った。看板には《休んでも人間》と書いた。
働くことを神にした人々の外で、柾冬は初めて、休ませるために手を動かした。