空洞のないシュー
大西早苗が焼いたシュー皮には、空洞がなかった。
オーブンから出した十二個は、どれも低くつぶれ、持つと石のように重い。バニラの匂いはするが、皮は厚く、噛むと固い層が歯へ当たる。師匠が詰めたクリームだけが冷たかった。
早苗は洋菓子店で七年働いている。シュークリームは、入社二年目から失敗したことがない。温度も絞り方も身体が覚えていた。
半年前から、右手の指が細かく震える。最初は疲れだと思った。けれど、絞り袋の口がぶれ、砂糖を量るスプーンが容器へ触れるようになった。失敗した生地は後輩のせいにせず、自分で廃棄表へ記録した。それでも回数が増え、閉店後に一人で作り直す日が続いた。検査では、しばらく治療と休養が必要だと言われた。
店にはまだ伝えていない。来月から新店舗の製造責任者になる予定だった。師匠は早苗を後継者だと紹介し、求人にも彼女の名前を載せた。早苗の母も開店日を手帳へ書き、親戚へ知らせている。今さら休みたいと言えば、七年分の期待だけでなく、新店舗そのものを落とす気がした。だから診断書はロッカーの底へ入れ、震えない左手の練習を始めた。
今日は定休日の厨房を借り、最後に成功すれば黙って働き続けるつもりだった。十二個すべてが膨らまなかったあとも、早苗はオーブンのせいにしようとした。
師匠は理由を聞かず、一個だけにクリームを詰め、早苗の前へ置いた。自分は食べない。
早苗は中央からかじった。空洞がないため、クリームは端へ逃げた。厚い皮を何度も噛み、半分まで食べる。
残り半分をさらに二つへ割った。片方だけを食べ、最後の四分の一を作業台へ置く。指が震え、切り口はまっすぐにならなかった。
その横へ診断書を出した。
「オーブンじゃないです」
師匠は紙より先に、残った四分の一を見た。早苗が商品を残すのは初めてだった。
師匠は診断書を読み、十二個の失敗作を袋へ入れた。捨てる袋ではなく、店の名前が印刷された持ち帰り用だった。
「責任者の席は、膨らませて待つものじゃない」
師匠は新店舗の予定表から早苗の名前を消さず、その横へ〈開始時期未定〉と書いた。代わりの責任者をすぐ決めることも、復帰日を約束させることもしなかった。
早苗は意味を聞かなかった。残した一口を包まず、そのまま作業台に置いた。全部食べて失敗を処理するのは、今日で終わりにしたかった。休む決心が、空洞のないシューより小さく見えないように。