立てるようになっても
「一人で立てるようになったら、離すから」
冬の屋外リンクで、貴船陽向は川瀬美晴の両手を握った。
美晴はスケートが苦手だった。友人グループで来たはずが、皆はすぐ先へ滑っていき、陽向だけが初心者用の柵のそばに残った。
「転ぶ」
「転ぶ前に支える」
「重いよ」
「知ってる」
憎まれ口を返しながら、彼は美晴の歩幅に合わせた。手袋越しでも手の温度が分かるほど、長くつないでいた。
陽向とは何年も、友達以上の距離を行き来してきた。二人で食事をしても、夜中に電話しても、触れる理由だけはなかった。今日は支えるため。美晴はその理由がなくなるのが惜しくて、なかなか柵から離れられなかった。
友人たちは二人を残して休憩へ行き、遠くから手を振った。陽向は追いかけようともせず、「もう一周」と美晴の手を取り直した。
一時間後、美晴は短い距離なら一人で滑れるようになった。
「もう立てる」
陽向の手が離れる。
褒められるはずなのに、胸が沈んだ。美晴は一人でリンクを半周した。風が頬に当たり、足元は何度か揺れたが、転ばなかった。
入口へ戻ると、陽向はベンチで待っていた。手には温かいココアが二つ。
「上手くなったな」
美晴はカップを受け取らず、その手をもう一度つかんだ。
「今は支えなくていいよ」
「じゃあ、どうして」
美晴は指を絡め、リンクの出口ではなく中央へ彼を引く。陽向は抵抗せず並んだ。
「来月も来る?」
「美晴が来るなら」
名前で呼ばれ、美晴はスマホを取り出した。来月のリンク最終日に二枚の券を予約し、その前の週にも夕食の予定を入れる。件名は《練習》ではなく、《美晴と陽向》。
「次は教えなくていいから」
「手もいらない?」
陽向が少し笑う。美晴はつないだ手を背中側へ隠し、離せない形にした。
「滑るためには、いらない」
「なら、何のため?」
答える代わりに、美晴は彼の肩へ少し寄る。二人の刃が同じ速さで氷を削った。
一人で立てるようになったら離すはずだった。
立てるようになったあとで握り直した手が、二人を友達ではない並び方へ変えた。