竹垣の隙間から

 根津野史乃は、企業法務の弁護士として、言葉の隙間を塞ぐ仕事をしていた。

 契約書へ例外を加え、責任の所在を明らかにし、曖昧な表現を残さない。正しさを守るほど、人との会話にも逃げ道がなくなった。

 退職後、竹林の多い里へ移り、古民家の周囲を覆う古い竹垣を直し始めた。

 腐った縄を外し、竹を同じ長さへ切り、隙間なく並べる。

 近所の竹細工職人は、史乃の垣を見て首を傾けた。

「風が抜けないよ」

「外から見えない方が落ち着きます」

「家も人も、閉めすぎると湿る」

 職人は竹一本ぶんの間隔を空けて結んだ。

 史乃は不安になった。道から庭が見える。隣の畑の声も入ってくる。

 けれど隙間を通った風が、軒下に干した布を揺らした。湿っていた土間の匂いも、少し軽くなった。

 竹垣作りは、思ったより時間がかかった。

 史乃は結び目を均一にそろえようとして、縄を何度もほどいた。職人は横で竹を削りながら言う。

「結び目は、締まっていれば顔が違っていい」

「後から緩みませんか」

「緩んだら、また結ぶ」

 その言葉に、史乃は手を止めた。

 都会では、一度交わした約束が崩れないよう、何頁も条件を書いた。ここでは雨で縄が痩せ、竹が乾き、季節ごとに締め直す。約束を守ることは、変わらないことではなく、変わったあとも手をかけることなのかもしれない。

 作業の昼、職人が竹筒で米を炊いた。

 火から下ろし、割ると、青い竹の香りを含んだ湯気が立つ。塩を少し振っただけの飯を、二人で庭へ座って食べた。

 隙間の向こうを、近所の子どもが通り、「いい匂い」と声をかけた。史乃は反射で身構えず、「少し食べる?」と返した。

 秋には、竹垣の隙間から金木犀の香りが入った。

 史乃は縁側で契約書ではなく、村の回覧板を読んでいる。誰かの笑い声が道から聞こえ、竹の影が畳へ細く落ちる。

 閉じきらない家には、風も匂いも人の気配も入ってくる。

 史乃は緩んだ縄を一か所だけ結び直し、残りは明日にした。指には若い竹の青い匂いが残っていた。