箸で直す空白の一週間
瀬戸口凛は、一週間ぶんの記憶を失っていた。
目覚めたのは自宅の布団。冷蔵庫には作り置き、流しには洗った食器、会社からは「復帰時期は相談しましょう」というメール。誰かに世話をされた形跡があるのに、思い出そうとすると頭の中で時計が空回りする。
箸本叶は、時計を漆塗りの箸で修理する。
冗談だと思ったが、叶は本当に二本の箸で極小の歯車をつまみ、茶碗のような部品皿へ移した。作務衣姿、前髪は寝癖のまま。口調だけが妙にきっぱりしている。
「掴めないものは挟まない」
「その道具で言われても不安です」
「指で潰すよりまし」
凛が持ち込んだのは、失った週の間ずっと身につけていた活動量計だった。記録上、毎日三百歩しか動いていない。
「何をしていたか、全部知りたいんです」
「全部は欲張り。まず一食」
叶が箸を合わせると、火曜の夕方が戻った。
凛は玄関前に座り、鍵を開けられずにいる。隣室の女性が見つけ、部屋へ入れ、鍋でお粥を作る。凛は三口食べて眠った。
水曜は生姜の匂いがする味噌汁。木曜は柔らかく煮すぎたうどん。金曜、凛は自分で卵を割った。土曜には、二人でスーパーまで歩いた。
「私、何もしてない」
「食べた」
「それだけ?」
「弱った人の一日は、それで満員です」
記憶がないのは、倒れる直前まで働き続けた脳が、生活の最低限だけ残して休んでいたからだった。叶は残りの日を無理に開けず、活動量計の空回りだけを止めた。
「隣の人に、お礼を」
「元気になってから。恩返しでまた倒れたら、迷惑が増える」
言い方は乱暴だが、修理票には隣人が置いていったメモの写しが挟まっていた。
『今度、元気な日に一緒に餃子を食べましょう』
叶は箸を拭き、工具箱へ戻さず、奥の台所へ消えた。しばらくして、湯気の立つ茶碗と箸を二膳持ってくる。
「修理は終わりましたよ」
「掴めないものは挟まない。今は記憶より米」
最初は不器用な道具にしか見えなかった箸が、凛の前で一日の続きをつまんでいた。
空白の一週間は取り戻せないままでもいい。その中で自分が食べ、眠り、少しずつ生きたことは、もう疑わなくてよかった。