縫い目を表に

三枝優雨は、復職申請書の「勤務上の配慮」欄を空白にしていた。

体調を崩して三か月休んだ。医師からは、最初の一か月は残業を避けるよう言われている。それでも職場へ戻るなら、以前と同じように働ける顔をしなければならないと思った。迷惑をかけたぶん、もう弱いところは見せられない。申請書には「特になし」と書くつもりだった。

休む直前も、眠れないことや動悸を隠して通常勤務を続けた。限界の日に突然席を立てなくなり、引き継ぎのないまま休職した。弱さを見せなかった結果、かえって多くを任せきりにしたことは分かっている。それでも同じ隠し方へ戻ろうとしていた。

日曜、地域の修理会へ、持ち手の裂けた布鞄を持っていった。復職初日に使う予定の鞄で、傷が目立たない同色の糸を探していると、隣の席で女の子が兎のぬいぐるみを縫っていた。

もも、六歳。兎の腹には、橙色の太い糸が何本も走っている。布は白なのに、縫い目だけが夕焼けのように目立った。

「白い糸もあるよ」と優雨が教えると、ももは首を傾げた。

「直したところ、見えなくなるよ」

「見えないほうが、きれいじゃない?」

「でも、ここがいちばん頑張ったところ」

ももは針を扱う母親の手を借り、最後の一針を結んだ。そして優雨の鞄へ、橙色の糸を少し差し出した。

「一個だけ、表にして」

優雨は断ろうとしたが、同色の糸はちょうど切れていた。裂け目の端に、橙色で小さな縫い目を一つ入れる。そこだけを見ると不格好だったが、持ち手を引いても傷は開かなかった。

修理会の机には、欠けた器を金色で継いだもの、別布を当てた上着、片耳だけ新しい熊が並んでいた。元どおりではない品ばかりなのに、誰も失敗作の箱へ戻さない。優雨は橙色の一針を指でなぞり、そこだけ強くなった布を確かめた。

夜、優雨は復職申請書をもう一度開いた。空白へ「当面、残業不可。通院日の時差出勤を希望」と入力する。完全に直ったふりをしない文章は、橙色の糸のように目立った。

削除キーへ指を置き、やめた。

印刷した申請書を鞄へ入れると、橙色の糸と『残業不可』の文字が同じ場所に重なった。どちらも元どおりではない自分を知らせるが、隠せば丈夫になるわけではなかった。

翌朝、優雨は縫い目を内側へ隠さず、その鞄を腕に掛けた。申請書には配慮欄を埋めたまま、提出印を押した。