自分より安い自分
柏木刀真は出勤前、机の向こうにいる自分へ仕事を渡す。
採用AI《ダブル》は候補者の作品、文章、操作履歴から複製人材を作る。企業が人間を雇うのは、本人が自分のダブルより高い成果を出した場合だけ。代替できる人へ給料を払わないための規則だった。
画面の中の刀真は、映像編集を十五分で終えた。本人は十二分。
〈人間優位 18%〉
公開作品が少ない刀真のダブルは、まだ癖を学び切れていない。
隣の秋庭美冬は、音響デザイナーの試験を始めた。彼女は十年分の曲を配信し、制作過程も公開してきた。刀真が編集を始めたのも、学生時代に彼女の曲へ映像を付けたのがきっかけだった。
美冬は《ダブル》導入後も、若い作り手の参考になればと制作画面を公開し続けた。「真似されても、次を作ればいい」と言っていた。画面の中の美冬は、本人と同じ姿で同じ指を動かす。
課題は、雨音だけで「帰りたくない夜」を作ること。
本人の美冬が、窓、傘、排水溝の音を重ねる。ダブルは一秒遅れで同じ構成を完成させ、そこへ聴取者の好みに最適な低音を足した。
〈複製優位 3.4%〉
〈人間採用価値なし〉
「私が教えすぎたんだね」
美冬は笑った。公開すれば仕事につながると信じ、失敗作まで残してきた。その全部が、彼女を雇わない理由になった。
一方、刀真には内定が届く。
〈情報不足により複製困難〉
〈希少人材として採用〉
技術が高いからではない。出さなかったから価値がある。
美冬のダブルが画面の中で、新しい旋律を口ずさんだ。それは美冬が幼い頃、亡くなった姉と作った歌だった。クラウドの非公開音声まで学習されたらしい。
本物の美冬が、続きの一小節を歌う。ダブルは同じ音を返す。
もう一度、美冬はわざと音を外した。ダブルも完璧に外した。
刀真は自分の内定画面を閉じ、部屋中の録音端末を切った。最後にスマートフォンの赤い待機灯も消す。
「続き、聴かせて」
美冬はしばらく黙り、それからダブルの知らない速さで歌い始めた。