薄いポケット
八尋ひかりの水着には、胸の内側に小さなポケットがある。
買ったときから入っていたパッドに、別売りの厚いものを二枚重ねるための場所だ。鏡の前では形が整う。けれど水に入るとずれやすく、上がるたびに更衣室で直さなければならなかった。
胸が小さいことを口にされる前に、自分で冗談にしたこともある。笑われなければ安心し、笑われると自分から始めたのだから仕方ないと思った。水着の中の三枚は、その冗談を形にした鎧だった。
友人たちと海辺の温水プールへ行く朝、ひかりは三枚のパッドを机に並べた。一枚、二枚、三枚。多いほど安心するはずなのに、胸元だけが重くなり、肩紐が首へ食い込む。
去年、波のプールで一枚が折れた。形を直すため、皆が休憩している間も個室から出られなかった。誰も理由を知らず、「長いね」とドア越しに笑った。ひかりも笑って返した。
更衣室で水着に着替えたあと、ひかりはいつもの三枚をポケットへ入れた。布が膨らみ、鎖骨の下に不自然な段差ができる。鏡の前で位置を直す。
館内放送が開場を告げ、外から水の音がした。
ひかりは肩紐を引き上げた。首に赤い跡が浮く。まだ泳いでもいないのに、もう身体を我慢させている。
ポケットへ指を入れ、追加した二枚を抜いた。最初からついていた薄い一枚も取り出しかけ、少し迷う。結局、それもロッカーの上へ置いた。
水着の胸元は平らになった。鏡に映る輪郭は、ひかりがずっと避けてきた形だった。
胸を張れば目立つ気がして、ひかりはいつも肩を内側へ入れていた。今日は肩紐が軽いぶん、背中を丸める理由も一つ減っていた。
タオルを肩に掛けてプールサイドへ出る。友人たちは浮き輪を膨らませるのに苦戦していて、ひかりを見る余裕もない。ひかりは何も説明せず、空気栓を押さえるのを手伝った。
水に入ると、布は身体にそのまま沿った。波が来ても、中で何かが折れる感触はない。上がったあと、ひかりは更衣室へ走らず、濡れた髪を絞った。
ロッカーに戻るまで、薄いポケットは空のままだった。