血管の冬壁
夜の城壁に、赤い亀裂が走っていた。
敵の火術で石が内側から熔けている。水を掛ければ蒸気で兵が焼ける。放っておけば夜明け前に壁全体が崩れる。
氷術師フロネアは手袋を外し、熔けた石へ掌を押しつけた。
この術は、術者の血管一筋を氷へ変えることで、同じ長さの石を凍らせる。氷になった血管には二度と血が流れない。
最初の詠唱で、腕の静脈が青白く固まった。壁の亀裂が一間ぶん凍り、火が止まる。
二度目。左脚の血管が冷え、足の感覚が消えた。三度目。腹の奥へ氷の筋が伸び、息をするたび臓器が薄い刃に触れた。
「十分だ」とケイルドが言った。「残りは石工に任せろ」
その石工たちは、さきほどの蒸気で倒れている。
亀裂は塔の下まで続いていた。そこが崩れれば、避難している者たちの階段を押し潰す。
フロネアは歩けない脚を引きずり、次の赤い線へ掌を当てた。
四度目で右腕が白くなる。五度目で喉の血管が凍り、声が細く砕けた。
壁は青い透明な膜に覆われ、敵の火を閉じ込めていく。残る亀裂は、心臓の高さに一つ。
「そこを凍らせたら、心臓へ戻る道がなくなる」
ケイルドが彼女の手を握った。その温度が痛い。
「朝になったら、城壁の外を見せると言っただろ」
フロネアは頷いた。
「だから、朝まで壁を残す」
最後の詠唱を吐いた。
胸から無数の白い線が広がり、首、頬、瞼へ駆け上がる。心臓の周りの血管がすべて氷になった。同時に城壁の亀裂が青く閉じ、火は宝石の中へ封じられたように動きを止める。
敵は崩れない壁を諦め、夜明け前に退いた。
ケイルドはフロネアを胸壁へ運んだ。東の空が明るくなる。
「見えるか」
彼女は返事をしなかった。
身体は死んでいない。けれど生きてもいない。透明な皮膚の下で、凍った血管が城壁と同じ青い光を流している。心臓だけが氷の中で、動かないまま形を保っていた。
朝日が差しても、その手は溶けなかった。
ケイルドが抱きしめると、彼女の胸から人の鼓動ではなく、凍った壁が軋む音がした。