赤い灰皿

南雲玲警部補は、東條郁恵の最後の通報を担当刑事の前で再生した。

郁恵は会員制クラブのママで、客の秘密を高値で売る情報屋だった。玲とは、危険なときだけ使う符丁を決めていた。「赤い灰皿」は警察官が同席している、「味が薄い」は警察内部から情報が漏れた、という意味だ。

――玲ちゃん、煮物の味が薄いの。赤い灰皿に、塩を三、砂糖を二、酢を五ね。

電話の背後でライターが三回、二回、五回と鳴った。三二五は郁恵を担当する捜査員の職員番号末尾だった。通報の翌朝、店は荒らされ、郁恵は消えた。

向かいに座る担当刑事は鼻で笑った。

「料理の相談だ。あの女は何でも暗号に見せる」

「符丁を知っているのは私と郁恵だけです」

「なら、お前が作った話だ」

玲は通話の最後を流した。

――お客さんが帰るまで、電話を切らないで。

その直後、男の声がした。

――郁恵、余計なことを言うな。

担当刑事の声だった。本人は机へ身を乗り出した。

「潜入中だった。郁恵を逃がす段取りをしていたんだ。録音に名前が出れば作戦が潰れるから、報告しなかった」

「作戦番号は?」

「非公式だ」

「入店記録も無線記録もありません。店の防犯映像では、あなたが裏口から入り、三時間後に一人で出ています。映像提出を命じた記録もない」

刑事の顔から笑いが消えた。

「二十年組対をやれば、紙にできない仕事もある。俺を出せば、郁恵から得た事件全部が汚れる。お前だって彼女に金を渡し、違法営業を見逃しただろう」

それは事実だった。玲も清潔ではない。情報を得るため、閉店時刻違反や客引きに目をつぶった。告発すれば、自分の捜査も調べられる。

「郁恵は最後に、あなたを売った」と刑事は言った。「情報屋らしい最期だ。そんな女のために仲間を捨てるのか」

玲は符丁を書いた私物の手帳を開き、通報の逐語録へ添えた。自分が違反を黙認した日付も、隠さず付記する。

担当刑事の職員番号三二五を被疑関係欄へ記入し、玲は赤い灰皿の写真を報告書の一枚目に置いた。