踊らない魔王舞踏会
ロザは舞踏靴が嫌いだった。
細い踵が痛いだけではない。踊れないと笑われた夜の記憶まで、足首へ絡みつく。
魔王ディルハム主催の夜会で、侍女が宝石の靴を持ってくる。ところが箱を開けた魔王は、即座に蓋を閉じた。
「これは使わない」
「王妃候補の正式装束です」
「ロザは硬い靴が嫌いだ」
代わりに出されたのは、柔らかい革の編み上げ靴だった。底には薄い毛皮が入り、つま先も広い。
「市場で見ていたのを覚えていたのですか」
「おまえは欲しいものほど、触らずに眺める」
世界最強の魔王は、敵国の軍勢を一歩で退ける。なのにロザの靴紐を結ぶときは、締めすぎないか何度も尋ねた。
夜会が始まり、楽団が最初の曲を奏でる。
司会者が高らかに告げた。
「魔王陛下と未来の魔妃ロザ様による、婚約の舞です!」
ロザは固まった。
「踊りません」
司会者が聞こえないふりをして中央へ促す。
「皆が待っております」
「私は踊ると返事をしていません」
貴族たちが囁く。魔王を恥じさせる女だ、と。
ディルハムは玉座から立った。ロザの前まで来ると、手を差し出さずに聞く。
「音楽も止めるか」
「音楽は好きです。座って聴きたい」
「分かった」
魔王は舞踏床の中央へ、二脚の椅子を運ばせた。そしてロザの隣へ座る。
司会者は狼狽した。
「陛下、最初の舞がなければ夜会が始まりません」
「ならば最初の座だ」
「伝統にございません!」
「今できた」
ディルハムは足を組み、楽団へ続けるよう命じた。ロザも柔らかな靴のまま、拍子に合わせてつま先を揺らす。
大臣が小声で進言する。
「一曲だけ命じれば済みます。陛下に愛されているなら、彼女も従うべきです」
魔王の笑みが消えた。
「愛しているからこそ、従わせない」
曲が終わると、ディルハムは全貴族へ宣言した。
「婚約の舞は中止。ロザが踊りたいと言う日まで、余との舞を義務にするな」
二曲目が始まっても、二人は立たなかった。
「今夜、中央で最も尊重されるのは、伝統ではなく彼女の『踊らない』だ」