転校生の町内地図
蓮実は引っ越し業者を待ちながら、机の裏に貼りついた折り畳み地図を剥がした。
〈東町納涼祭 屋台案内〉。赤いペンで、神社、駄菓子屋、川沿いの空き地に丸がついている。
高校二年の秋にまた転校することが決まった夏、蓮実は祭りへ行くつもりがなかった。半年しかいなかった町で、思い出を増やしても持て余すだけだと思った。
しかし同級生の八重が、放課後の靴箱へ地図を押し込んだ。
〈七時、ここ〉と神社に大きな丸があった。
蓮実が行くと、八重は町内会の法被姿で待っていた。
「転校生向け特別ツアーです」
「もうすぐ転校する人向けでしょ」
「同じこと」
八重は地図を片手に、屋台ではなく町を案内した。駄菓子屋の裏は花火がよく見えること。川沿いの空き地には昔、映画館があったこと。神社の狛犬は片方だけ舌を出していること。
蓮実は何度も「どうせ忘れる」と言った。
そのたび八重は地図に赤い丸を増やした。
最後に二人は、商店街の端にある小さな郵便ポストの前へ来た。
「ここは?」
「蓮実がいた場所」
八重は地図の余白を指さした。
「住所書いて」
「新しい住所、まだ決まってない」
「じゃあ名前だけ」
蓮実が署名すると、八重も隣に名前を書いた。
「半年でも、住民は住民。いなくなっても、いた人」
花火の音が背後で鳴った。二人は振り返らず、地図の上に落ちる光を見ていた。
あれから蓮実は大学、就職、転勤で何度も住所を変えた。新しい町では、どうせ離れるかもしれないと考え、近所の人の名前を覚えない癖がついた。
二十八歳の今日、また別の町へ移る。地図を捨てかけ、蓮実は思い直して手帳に挟んだ。
インターホンが鳴り、引っ越し業者より先に隣室の住人が挨拶に来た。近所の神社で今夜、夏祭りがあるという。
蓮実は名乗ったあと、相手の名前を聞き返した。忘れないよう、スマートフォンに書き留める。
夜、まだカーテンもない部屋を出た。昔の町へ戻るためではない。いつか離れる可能性ごと抱えて、今いる町の地図に、自分の丸を一つ増やすために。