酒場に出ない麦酒

アグネトの麦酒は、酒場の卓へ出なかった。

濁りが強く、泡も少なく、飲み物としては人気がない。醸造後に残る酵母泥がパン工房や薬師へ渡されるが、酒商会の帳簿では副産物扱いだった。売上寄与は8%。営業長は樽を見て顔をしかめた。

「飲まれない酒を仕込む職人は要らん」

アグネトは発酵槽の栓を閉じた。彼女の麦酒は、酵母泥を育てるために仕込まれていた。パンを柔らかく膨らませ、傷薬の腐敗を抑え、家畜の飼料まで豊かにする。酒そのものより、底に残るものが街の商売を動かしていた。

営業長は澄んだ高級酒だけを作らせた。酒場では評判になり、杯が掲げられた。だが酵母泥が届かなくなったパンは固くなり、薬は日持ちせず、家畜は痩せた。酒場へ料理が届かず、澄んだ酒さえ注文されなくなった。

パン職人と薬師と牧場主が、同じ日に商会へ押しかけた。営業長は「酒屋へ来る話ではない」と追い返そうとする。アグネトの古い樽を抱えたパン職人が、底を叩いた。

「街が買っていたのは、卓の泡だけじゃない」

天井から《副産価値樹》が伸びた。主商品から枝分かれした材料が、別の店でどれだけの代金を生んだかを示す真価装置だ。澄んだ酒の枝は酒場で止まり、濁り酒の根からパン、薬、飼料、料理へ太い光が広がった。

営業長は枝を掴もうとして弾かれた。

《捨てられるはずの底が、街の棚を満たした》

広間には、酵母泥を使っていた店々の商品が持ち込まれた。柔らかなパン、傷まず届いた薬、肥えた家畜の乳で作った料理。どれも酒商会の棚には並ばない。それでも価値樹は、代金の根を同じ発酵槽へ結んだ。営業長が業種違いだと叫ぶほど、街全体から伸びる枝は太くなった。客は会社の区分ではなく、役立つ流れへ金を払っていた。

アグネトは発酵槽へ戻り、澄んだ酒の仕込みも止めなかった。ただし、酵母泥を副産物と記した帳簿だけは破棄させた。営業長の名札も、同じ箱へ入れられた。

パン職人は柔らかく膨らんだ生地を、薬師は腐らず残った軟膏を、牧場主は艶を取り戻した家畜の毛を見せた。どれもアグネトの酵母泥が戻った後の品だった。酒場の主人も、料理が揃わなければ高級酒だけでは卓が続かないと証言する。営業長が濁り酒を裏へ隠そうとすると、客たちは樽底の印が見える場所へ移した。アグネトは澄んだ酒の職人を敵にせず、発酵槽を共有して互いの副産物を生かす仕組みを作る。営業長は宴席から外され、毎朝、街の工房へ酵母泥を届ける配達表を持たされた。

《真価確定:アグネト 実売上寄与92%》

《売上順位:圏外→首位/役職:濁り酒担当→都市発酵産業長》