鐘楼の紙箱

修復中の古寺で、入口を煉瓦で塞いだ鐘楼の内部に紙箱が届いた。作業員が朝、上部の明かり窓から覗くと、梵鐘の下に箱があり、中には本堂から盗まれた古い印章が入っていた。煉瓦壁は前夜の封印蝋を保ち、梯子も足場も撤去されている。

疑われたのは修復主任の荒木、寺務員の矢吹、写真家の喜多川。荒木は別棟で図面整理、矢吹は宿直、喜多川は境内外から夜景を撮っていた。三人とも印章の売却話を知り、外部から返されたように装う理由があった。夜間の境内は立入禁止だったが、鐘楼の外壁そのものには警報装置がなかった。

文化財調査員の宮原が得た手掛かりは三つだった。箱の上面にだけ、鐘楼の明かり窓へ積もる黒い煤が付いている。結び紐には梵鐘の主綱と同じ黄麻繊維が混じっている。そして荒木の工具箱から、前夜まであった十五メートルの白い案内綱だけが消えていた。

矢吹は鳥が運んだと言い、喜多川は屋根の瓦を外した可能性を挙げた。だが箱は印章を含め三キロ近く、瓦に乱れもない。荒木は案内綱を廃棄したと答え、鐘楼の明かり窓は人の腕も入らないほど狭いと強調した。人が通れないことと、箱が通れないことは同じではない。宮原が箱を量ると、印章を含めても明かり窓の幅を十分に通る。荒木は綱を使えば箱が壁へ当たって音がすると反論したが、昨夜は強風で梵鐘の固定綱が何度も軋んでいた。

宮原は境内から主綱の先を見上げた。修復中だけ、梵鐘を固定する綱が明かり窓を通り、屋外の控え杭へ結ばれている。案内綱を箱へ結び、主綱に輪を掛けて引けば、箱だけを窓まで滑らせ、内側へ落とせる。

「上面の煤は明かり窓を擦った跡、黄麻繊維は主綱を滑った跡、消えた案内綱は外から箱を引いた道具です。荒木さんは夜、足場の代わりに二本の綱を使って印章を鐘楼へ戻した。煉瓦壁を破る必要はない。鐘を支える綱が、封鎖された室内まで続いていたからです。人の入口をすべて塞いでも、鐘のための入口は残っていました。案内綱を回収できなかったのは、箱と一緒に内側へ落としたからでしょう。煉瓦と封印蝋は無傷のままです。それらは犯行を妨げたのではなく、誰も壁以外を見上げないようにする額縁になったのです」