閉館前の三十分
若林章太、国分咲帆、大崎知也は、卒業旅行で現代美術館を訪れた。閉館まで三十分。ほとんどの展示室は無人で、三人の靴音だけが白い壁に跳ね返った。
最後の部屋には、錆びた椅子が三脚、互いに背を向けて置かれていた。作品名は《共同生活》。
「これ、俺たちじゃん」と知也が言った。
咲帆は作品解説を読んだ。「作者、広告会社を辞めて作家になったって」
章太が鼻で笑う。「成功した人だけが辞めた話を美談にできる」
「章太は広告会社に行くもんね」と咲帆。
「行くよ。金を稼いで、売れるものを作る」
知也がカメラを構えたが、撮影禁止の表示を見て下ろした。「俺は美術館の契約職員。来月から、こういう札を立てる側」
咲帆は椅子の周囲を一周した。「私は父の工場。パッケージのデザインをやる」
章太が振り返った。「大学院、受かっただろ」
「学費を出さないって言われた。借りてまで続けるほど、自分の絵を信じられなかった」
「じゃあ諦めたんだ」
咲帆は章太の顔を見た。「そう言える章太が羨ましい。売れるものなら信じなくても作れるから」
閉館を知らせる音楽が流れた。知也が二人の間に入る。
「最後の旅行で喧嘩すんなよ」
「最後だからするんでしょ」と咲帆。
三人は同じゼミで、卒業後に共同アトリエを借りる計画を立てていた。敷金を貯めるため同じ結婚式場で配膳のアルバイトまでしたが、共同口座には六万二千円しかない。章太は売る場所へ、知也は守る場所へ、咲帆は包む場所へ行く。作品を作り続けると断言できる者は一人もいなかった。
「口座、どうする?」と知也。
「三等分」と章太が言い、咲帆は「一円余るね」と呟いた。
係員に促され、三人は展示室を出た。ロッカーで荷物を受け取ると、鍵が一本余っていた。知也が借りた番号だったが、中は空だった。
「何を入れたっけ」と彼は笑った。
誰も思い出せなかった。
出口のガラス越しに、背中合わせの椅子が見えた。照明が一つずつ落ち、最後に中央の空間だけが暗く残った。余ったロッカーキーは返却口へ落ちず、知也の掌で冷え続けた。