雨天中止

町内運動会の朝、菜摘は五時から弁当を作った。

唐揚げ、海老フライ、出汁巻き卵。重箱の一段目には俵むすびを並べ、海苔を巻く。夫の晴紀は窓を見ながら「降りそうだな」と言ったが、菜摘は手を止めなかった。

七時、連絡網が回った。雨天中止。

その瞬間、屋根を叩く音が強くなった。台所には三段重ねの弁当と、使い終えた油の匂いが残った。

「四人で食べればいいよ」と晴紀が言う。

けれど子どもたちは、運動会がなくなったことに拗ねて部屋へ引っ込んだ。菜摘も、誰にも見られない俵むすびが急にむなしくなった。

正午、晴紀が居間へレジャーシートを敷いた。

「場所取り完了」

テレビを消し、窓を少し開ける。雨の匂いと、湿った風が入る。子どもたちも面白がって集まり、シートの上に靴下のまま座った。

重箱を開けると、海老フライの衣はもう少し柔らかい。唐揚げも冷めている。それでも娘の若葉が「外で食べる味がする」と言った。

息子の理玖は箸をマイクにして、競技の実況を始めた。海老フライ競走、唐揚げ玉入れ。菜摘は笑いながら卵焼きを頬張った。朝、味見したときより出汁が馴染んでいる。

午後には雨がやんだ。庭には水たまりができ、運動会はないまま一日が過ぎる。

夕方、空の重箱を洗う。角にパン粉が一つ残っていた。菜摘が指で取ると、晴紀が「来年も同じの頼む」と言う。

窓の外から濡れた土の匂いがした。中止になった日の弁当も、食べ終えればちゃんと、その年だけの味になっていた。

夜、理玖は運動会の絵を描いた。校庭ではなく、居間の青いシートと三段重を大きく描き、窓の外に雨粒を並べた。菜摘は絵を冷蔵庫へ貼った。翌朝、残った俵むすびを焼くと、醤油の焦げる匂いが立つ。雨天中止の翌日の朝まで、運動会は静かに続いていた。

重箱を棚へ戻す前、菜摘は三段の間へ理玖の絵を挟んだ。来年取り出す頃には紙へ油の匂いが移るだろう。雨粒の描かれた紙も一緒なら、晴れた運動会の弁当とは違う味がするはずだった。