雨音が戻った瞬間

午前一時十七分、天笠蒼介のイヤホンに倉橋菜緒の声が流れた。

「玄関のゲストコード、消してくれる?」

別れて二か月。菜緒には、蒼介の部屋へ入れる六桁の暗証番号が残っていた。

「今やる」

「あと、合鍵は郵便受けに入れた」

「分かった」

声は不自然なほど静かだった。蒼介は二十四時間営業の共同オフィスにいて、窓には自分の青白い顔しか映らない。部屋までは十五分かかる。

二人が終わったのは、菜緒の父親が倒れた夜だ。彼女は何度も連絡したと言ったが、蒼介の端末には一件も残っていなかった。翌朝、菜緒から〈必要なときにいない人とは暮らせない〉と届き、彼も〈そうだな〉と返した。

「番号を変えたなら、言ってくれればよかった」

「言った。最初のメッセージで」

「届いてない」

菜緒が送信画面を見せる。新番号からの最初の文は、迷惑メッセージ判定で隔離されていた。そこには〈父が倒れた。合鍵で先に病院の書類を取って〉とある。

一時二十二分、蒼介の端末にも、復元された隔離履歴が現れた。真実は二か月と五分遅れて届いた。

「今、どこにいる」と彼は訊いた。

「家」

「自分の?」

「そう」

そのとき、菜緒のイヤホンの電池が切れた。ノイズ抑制が外れ、激しい雨と、蒼介のマンションのエントランス音が聞こえた。

「俺のところだろ」

菜緒は答えなかった。スマートロックの履歴には、午前一時九分、ゲストコードの入力失敗が三回。彼女は番号がまだ使えるか確かめ、入らずに電話していた。

「待ってて。今から帰る」

「待ってって、二か月前に言いたかった」

「今度は聞こえた」

「遅いよ」

一時二十七分。蒼介がビルを飛び出したとき、スマートフォンに〈郵便受けが開きました〉と通知が来た。菜緒は鍵を入れ、タクシーへ乗ったらしい。

彼は遠隔でエントランスを解錠した。だが監視映像には、雨だけが映っていた。

画面には〈ゲストコードを削除しますか〉と残っている。蒼介は十秒待ち、菜緒の番号を六桁ずつ確かめるように見てから、〈削除〉を押した。