青いコートの内側

仕立て直しの店《針月》で、布地倉庫の合鍵が消えた。

店主の佐伯野乃花は、午後の面接へ着ていく上着を探しながら青ざめた。店の家賃は二か月後に上がる。面接先は衣装会社の契約職で、受かれば夜だけでも《針月》を続けられる。落ちれば、母の看板を下ろすしかなかった。昨夜店にいたのは、見習いの越智朝子、仮縫いに来た客の戸倉、布を届けた鶴巻。倉庫には預かり物もあるが、封は一つも破られていない。

代わりに、作業台の下へ青い糸が伸びていた。床には母貝の古いボタンが一つ。朝子のミシンだけ、電源を切ったあとも足踏み板に温もりが残っている。

糸をたどると、試着室のカーテンの向こうへ続いていた。

そこに、深い群青色のコートが掛かっていた。裏地には細い銀の縞。なくなった合鍵は、襟元のハンガーに結ばれている。

「勝手に倉庫を開けました」

朝子が、指先を針傷だらけにして頭を下げた。

その布は、野乃花の母が店を始めた頃に仕入れ、最後まで使えず残していたものだった。母は「いつか野乃花の勝負服にする」と笑ったが、そのいつかを迎える前に亡くなった。野乃花は転職の面接を受けると決めた夜、「場所を取るから処分して」と朝子に言った。経営が苦しく、店を畳む可能性をまだ誰にも話せなかったからだ。

朝子は捨てられなかった。以前、採寸を誤って大切な裏地を切ったとき、野乃花は叱らず、自分の給料から補填した。その謝罪も礼も言えないまま、店がなくなるかもしれないと知り、夜通しでコートを仕立てたのだ。

「面接に受かったら、この店を辞めるんですか」

「店を残すために、外でも働く。まだ諦めてないよ」

野乃花が答えると、朝子の目から涙が落ちた。戸倉はボタンを提供し、鶴巻は足りない裏地を届けた。二人とも共犯だったらしい。

コートは肩が少しきつく、袖口の縫い目も完璧ではない。それでも鏡の中の自分は、昨日よりまっすぐ立っていた。

野乃花は合鍵を朝子の掌へ戻した。

「今度から、借りるときは一言」

そして青い襟を整え、店の扉を開けた。

「行ってきます」