頭を下げない謝罪
芹那が謁見室へ呼ばれたとき、砂海国の使節団は既に帰り支度をしていた。
王子が晩餐で聖獣の名を冗談に使い、使節長を怒らせた。塩交易が止まれば、王都の保存食は十日で尽きる。国境では既に二千の騎兵が向かい合っていた。王子はすぐ王国語で謝った。
『私が愚かでした。どうかお許しください』
宮廷通訳は一語ずつ正確に砂海語へ移した。だが砂海語で「許しを乞う」は、敗者が勝者の奴隷になると宣言する言い回しだった。使節長は「我が国を脅迫する気か」と席を立った。直訳された謝罪が、服従を装った侮辱に聞こえたのだ。
「なら、もっと深く頭を下げればよい」
礼法官が王子の肩を押す。
前世で外交通訳を学んだ芹那は、床へ膝をつきかけた王子を止めた。頭を下げる深さではなく、謝罪という行為が相手にどう届くかを合わせる。謝罪の単語を訳すのではなく、相手国で同じ働きをする定型句を選ぶ。
彼女は砂海語で一文だけ告げた。
『私の口が、あなたの客席へ砂を入れた。水を運ぶ責任は私にある』
砂海では、害を認め、償いを自分から示す謝罪だった。
使節長の足が止まる。随員たちも荷箱を持つ手を下ろした。
芹那は王子が用意した聖獣保護区への寄付状を差し出した。金貨千枚。使節長は額を確かめ、王子へ向き直る。
「その水を、我らは受け取る」
彼は荷造りさせた箱を再び開かせた。取り出したのは、破棄されるはずだった塩交易の批准書だ。使節団七人が席へ戻り、王子と使節長が同じ卓で署名する。塩千樽の出荷印も押され、止まっていた隊商へ再開の青旗が掲げられた。
国境で待機していた二千の騎兵には、撤収命令が飛んだ。謁見室の砂時計が落ち切る前に、交易停止は解除された。
宮廷通訳は唇を震わせる。
「原文の『愚か』も『許し』も訳していない。誤訳だ」
使節長は批准書を巻きながら首を振った。
「言葉は違う。だが、届いた謝罪は同じだ」
国王は通訳の席から銀鎖を外し、芹那の肩へ掛ける。
「王室外交通訳官に任命する。次からは、口ではなく意図を渡してくれ」