風の音も配信中
槙野の配信には、いつも風の音が入った。
古い窓は閉めてもわずかに隙間があり、強い夜には、ひゅう、と細い笛のように鳴る。マイクは声より先にそれを拾った。
午前二時四分。槙野は「眠れない人へ、本を一ページだけ」と題した配信を始めた。机のライトは橙色で、エアコンの送風は止めている。外では雨が風に押され、窓を斜めに走っていた。
一段落読む。
ひゅう。
槙野は「すみません、風が」と謝った。タオルを窓枠へ押し込み、もう一度読む。
また、ひゅう。
同時接続は三人から二人になった。風のせいか、時間のせいかは分からない。槙野はマイクの設定を開き、雑音を抑える項目を探した。操作するあいだ、本のページが空調の残り風でぱら、と動いた。
コメント欄に一行が現れた。
――風もそのままで。
短い名前のリスナーだった。以前来たことがあるかもしれないし、初めてかもしれない。
槙野は「では、そのままで」と言った。
三度目は、風が鳴っても止まらず読んだ。声と声の間を、ひゅう、雨、ひゅう、と窓が埋める。文章の中には静かな森が出てきたが、槙野の部屋は森のようにはならなかった。古いサッシと室外機と、隣の建物の換気扇があるだけだ。
それでも誰かは、その全部をイヤホンの向こうで聞いている。
読み終える頃、同時接続は一人だった。コメントを書いた人かどうかは分からない。
槙野は「きれいに読めませんでした」と言いかけ、やめた。「今夜はここまでです」とだけ告げた。
配信を終えると、風は急に自分だけの音へ戻った。
窓のタオルを外す。隙間から冷たい空気が入り、机の紙を一枚揺らした。直すのは明日でいい。
保存されたアーカイブには、風のたびに声が少し揺れていた。槙野は聞き直して窓の音を削ることもできたが、編集画面を開かなかった。今夜の部屋は、今夜の形のままでよかった。
風を止められない部屋でも、一ページは最後まで読めた。槙野は本を伏せ、ひゅうという音を追い出さずに灯りを消した。