高架下に残る灯り

 終電が高架を走ると、町の灯りは足元へ沈んだ。

 柊は窓へ額を近づけた。雨に濡れた道路、閉まった商店の看板、交差点で止まる一台のタクシー。天井の蛍光灯がガラスへ重なり、外の景色を何度も薄くした。

 今夜、妹を空港まで見送った。

 海外で暮らすのは二年間だけだと妹は笑った。柊も笑い、改札の外から手を振った。帰りの電車で写真を見返すうち、二年という長さが急に実感を持った。困ったときに呼び出せる人が、同じ町からいなくなる。

 高架下の信号が赤へ変わる。電車のモーターが低く回り、車輪が継ぎ目を越えるたび景色が小さく揺れた。

 反対側のホームに、一人の男性が立っていた。終電を待っているのではない。こちらの列車が近づくと、線路の向こうへ向けて片手を上げた。

 柊は一瞬、自分たちの車両へ手を振っているのかと思った。

 けれど先頭の窓から、運転士の白い手袋が小さく上がった。ほんの短い合図だった。列車は速度を落とさず通過し、男性の姿は雨の柱の後ろへ消えた。

 知り合いなのか、毎晩交わす挨拶なのか、柊には分からない。見えないところで成立している関係が、一秒だけ窓の外へ現れた。反対ホームの照明はすぐ後ろへ流れ、白い手袋の残像だけが窓にしばらく重なった。

 次のカーブでは、雨水をためた屋根が車内の光を返した。町は眠っているのではなく、見えない合図を細く続けているようだった。

 妹から「着いたら連絡するね」とメッセージが届いている。飛行機はまだ離陸していない。柊は「気をつけて」と送り、続けて何か書こうとしてやめた。寂しいとも、もう帰ってきてとも、今夜言う必要はない。

 電車は高架を下り、町の灯りが窓と同じ高さへ戻った。空調が回り、濡れたコートの袖を冷やす。

 手を振る相手が遠くへ行っても、合図がなくなるわけではない。毎日でなくても、見えない夜でも、届くときに届けばいい。

 柊はスマートフォンを伏せた。妹のいない町へ帰る最初の夜を、誰かに埋めてもらわなくてもいい。高架下の灯りを一つずつ見送りながら、一人で自分の駅まで行けそうだった。