『復旧ボタンの署名』

蟹江瑛人の技術面接では、前職の大規模障害が話題になった。

「暗号化攻撃で全サーバーが止まった夜、私がバックアップ経路を見つけ、復旧ボタンを押しました。翌朝までに九割を戻しています」

提出された推薦状には、当時の部長が同じ実績を自分の指揮によるものと記していた。蟹江は、それでも部長の判断がなければ動けなかった、と控えめに答えた。

面接官の早乙女蘭が尋ねる。

「復旧手順は誰が作ったんですか」

「分かりません。古い保守アカウントに、使われていないスクリプトが残っていました」

「自分が作ったとは言わない?」

「押したのは私ですが、道を作った人は別です」

早乙女は復旧ログを表示した。実行者は蟹江。開始時刻は十六時三分。部長の入館記録は十七時四十分で、推薦状にある「部長の指示で開始」と矛盾している。

「時刻はシステム障害で狂っていたのでは」

同席役員が言った。

早乙女だけが、あの復旧ボタンの署名規則を知っていた。彼女は前職へ派遣され、身分を伏せて災害復旧訓練を設計した技術者だった。ボタンを押すと、操作端末の時刻ではなく、外部監視局の署名時刻が残る。改ざんできない。

さらに共有チャットの削除履歴には、蟹江が十六時五分に部長へ「訓練ではなく実障害です。手順を実行します」と送り、部長が十七時五十二分に「私の指示で動いたことにしろ」と返信した痕跡があった。

推薦状の嘘を書いたのは部長だった。

「なぜ面接で否定しなかったんです」

早乙女が聞く。

「本当に、手順を残した人のおかげでしたから。誰か分からないのに、自分の成果とは言えません」

早乙女はそこで初めて笑った。

「その誰かは私です。訓練用の仕掛けが本番で役立つとは思いませんでした」

役員は推薦状を評価資料から外した。

早乙女は蟹江の採用欄へ印を押した。

「復旧した九割より、残り一割を自分の手柄にしなかった人を採ります」