ありがとうは一回
立花沙月は、助けてもらうと謝り続けた。
荷物を持ってもらえば「ごめん」を三回、仕事を代わってもらえば事情を十行。感謝だけでは足りず、どれほど申し訳なく思っているか証明しなければ、相手の中に借りが残る気がした。そのため、頼るくらいなら無理をするほうを選んだ。子どものころ、忙しい母に何か頼むときは、先に「ごめんね」を言っていた。母は気にしなくていいと笑ったのに、沙月の中では、助けを受け取ることと相手を困らせることが、いつの間にか同じ意味になった。
地域交流会の設営を手伝った日、沙月は紙皿の箱と飲料のケースを一度に運ぼうとして、入口で箱を落とした。九歳の海斗が駆け寄り、転がった紙皿を拾う。
「ごめんね、ありがとう。手を汚させてごめん。こっちは私が――」
海斗は指を折りながら数えた。
「今、三個借りた?」
「何が?」
「ごめん二個と、ありがとう一個。紙皿は一回しか拾ってないよ」
沙月が笑うと、海斗は箱を抱えたまま言った。
「ありがとうは一回で終わり。もう一回言ったら、また何かやらないとだめ」
子どもの勝手な計算だった。海斗は沙月へ、残った軽い箱だけを渡す。
「次は『お願いします』って言って。そしたら運ぶ」
沙月は口の中で謝罪を飲み込み、「お願いします」と言った。海斗は威張るでもなく、ケースを台所まで運び、すぐ友達のところへ戻った。
交流会が終わったあと、沙月は海斗へもう一度礼を言いかけた。けれど彼はすでに紙皿で円盤を作り、友達と飛ばしていた。感謝を数え続けているのは沙月だけで、助けた側はとっくに次のことをしていた。
翌週、沙月は発熱ではないが、朝からひどい頭痛があった。午後の受付当番を休みたい。それでも同僚へ相談する文面には、事情と代替案と謝罪が長く並んだ。
隣席の同僚が画面を覗き、「私、今日なら代われるよ」と言った。
同僚は、恩を売るような顔をせず、自分の予定表を開いていた。代わることは彼女にとって、沙月が想像するほど大きな犠牲ではないらしい。申し訳なさを増やすほど、相手の選択まで重くしていたのかもしれなかった。
沙月は長い下書きを全部消した。喉まで出た「本当にごめん」を、海斗の指折り計算で止める。
「ありがとう。お願いします」
一回だけ言い、沙月は当番表へ相手の名前を入力した。