お義姉さんは三冊持っている
婚約者の実家で、梢は本棚に自分の同人誌を見つけた。
食事の前、手洗いを借りようとして廊下を通っただけだった。ガラス戸の向こうに、見間違えようのない三冊が並んでいる。梢が「木陰ソーダ」の名で書いた恋愛小説。初版、再版、表紙違いの記念版まであった。
持ち主は婚約者の姉らしい。
梢はその場から動けなくなった。婚約者にも、創作のことは「趣味で文章を書く」としか話していない。家族になる人たちに、登場人物の口づけや別れまで読まれている。知られたら結婚を考え直されるのではないか。梢は過去に、友人へ一冊見せて「本人を知ってると生々しい」と返されたことがある。その日から、身近な人ほど遠ざけてきた。
背後で床が鳴った。
「それ、好きなの?」
姉が立っていた。
梢は否定できず、本の背を見つめた。
「私が書きました」
姉の目が大きくなる。次に出たのは笑いではなく、小さなため息だった。
「危なかった。夕食で木陰ソーダの新刊の話するところだった」
「言わないでください」
「もちろん。作者が誰かは、作者が決めることだから」
姉はガラス戸を閉じ、鍵までかけた。
「でも三冊もあるんですね」
梢が言うと、姉は少し恥ずかしそうに笑った。
「初版は読む用、再版は保存用、記念版は表紙が好きで」
その分類があまりに正しい読者の言葉で、梢の肩から力が抜けた。
食卓へ戻ると、婚約者の母が趣味を尋ねた。いつもなら読書と答えるところだった。
梢は膝の上で手を組む。
「本を作っています。小さなものですけど、自分で書いて、印刷して」
婚約者が驚いてこちらを見る。姉は何も知らない顔で、味噌汁をよそっていた。湯気の向こうで一度だけ、梢へ小さく頷いた。
「まあ、素敵。今度見せてね」
母の言葉に、梢はすぐ頷かなかった。
「見せられるものを選んでから」
そう答えると、婚約者が笑った。
「俺にも、その順番でいいよ」
食後、姉は本棚の鍵を梢へ渡した。
梢は三冊を隠すためではなく、四冊目を置く場所を確かめるために、ガラス戸を開けた。