ひび割れた蓋は剣聖を弾く
闘技場へ放り込まれたボルクに、盾は与えられなかった。
相手は百戦無敗の剣聖ラグナ。貴族の酒宴で皿を割っただけの厨房下働きを、見せ物として斬るつもりらしい。
「一撃だけ受けて立っていられたら、自由にしてやる」
主催者が笑う。観客も笑った。
ボルクの視界に《戦闘初参加・初回十連》が現れた。彼は剣の持ち方すら知らない。今必要なのは、勝つ武器ではなく、一撃を受ける盾だ。
十連を回す。
布靴、木匙、空瓶など九品。最後に出たのは、縁が欠け、中央にひびの入った鍋蓋だった。
《古い蓋/説明:後ろにあるものを守ります》
「お似合いだ!」
笑い声の中、ボルクは蓋を左腕に構えた。
ラグナは手加減しなかった。王国最硬の鎧を両断したという剣が、白い軌跡を描く。
一撃。
澄んだ音が闘技場へ響いた。
ボルクは同じ場所に立っていた。鍋蓋のひびは増えていない。代わりに、剣聖の名剣が刃元から粉々に砕け、銀の破片が砂へ降った。
静まり返った観客席で、ラグナだけが一歩退く。
「何を守った?」
ボルクは後ろを振り返った。そこには、同じように見せ物へされる予定だった囚人たちが並んでいる。
「俺の後ろにいる人、全員です」
蓋から透明な壁が広がり、囚人席を囲んでいた鉄柵と契約魔法を押し返した。錠が外れ、主催者の支配印が砕ける。
ラグナは折れた剣を捨て、ボルクの側へ立った。
「条件は満たした。彼らも自由だ」
主催者が反論する前に、鍋蓋へ鑑定光が走る。
観客席の端で、囚人たちの自由を賭けの対象にしていた札が燃えた。勝敗を示す魔法盤は、剣聖ではなくボルクの名を勝者欄へ刻む。厨房仲間が最初に立ち上がり、次に下働き、やがて貴族席以外の全員が彼の名を呼んだ。笑い物として始まった一撃は、守られる側が胸を張る合図へ変わっていた。
主催者は「お前だけなら解放する」と取引を持ちかけた。ボルクは鍋蓋を下ろさない。「後ろにいるものを守る道具です。俺だけ前へ出たら、使い方を間違える」。その一言で、ラグナは囚人全員の契約書を剣の柄で叩き割った。
《EX級〈最後の一人まで守る蓋〉/防御値:測定不能》